元画像の保存期限をすぎました
当方、緊縛至上主義者ではありません。革製の拘束具や包帯でも全然楽しい。拘束すらしない時もあります。緊縛なんて飽くまで責めの一つであり、拘束を通じた責めと受けの精神的な関係性を具体化する手段…くらいに考えています。
持論は「縄なんて無くてもSMは出来る」。
でも、緊縛のインパクトからこの世界に身を投じる受け手が多いのですから、責め手を自認するなら、プレイに組み込む、組み込めないに関わらず緊縛は出来て然るべきだと思うのです。普段はしなくても、受け手に望まれたら、いつでも出来るように。
責め手は受け手の尊敬を勝ち取らなくてはならないのだから。
例えば、いい歳して運転免許も持っていないのに、車の薀蓄ばかり語って、ドライブが如何に素晴らしいか語っている人がいたら、物凄く滑稽だと思う。
SMを語るのに、緊縛が出来ないのはそれに似ている。
(仕事中のワンショットの為、権利関係で背景に画像処理をしています)