前回と前々回の二回に渡り、私の高校時代の出来事、校内マドンナだった吉岡富美代の体育用のブルマーとスクール水着を拝借してのオナニー体験談を告白させて頂きました。それらをお読み下さった方々から予想しなかったほどの反響を承ることができ、その中には「まだもっとないか?」とのお声も数多くありましたので、今回はその体験談のパート3としてそのエピソードをお話ししようと思います。
例によって今回も前二回同様、かなり偏った内容になることは間違いありませんので、こうした趣向が合わない方はどうかスルーして頂くことをお願い致します。
それでは始めさせて頂きます。
吉岡富美代が我が校きってのマドンナであり、男子生徒からの人気も抜群だったのはこれまで何度も申し上げてきたとおりですが、我が校にはそんな彼女と肩を並べるほどのマドンナがもう一人、存在しました。吉岡富美代と双壁といえるほどの男子人気を集めていた女子生徒がいたのです。
その生徒の名前は小森佐夜子といいます。
実は、私は高校二年の時に彼女とは同じクラスになりました。
高校二年のクラス変えの際に彼女のことは知ったのですが、まずそのあまりの美少女ぶりに驚く他ありませんでした。それは他の女子とは次元が違うというほどのレベルでした。また、彼女はその容姿の素晴らしさだけでなく、学業も極めて優秀だったらしく、新クラス発足と同時に副学級委員にも選ばれました。こうしたところも吉岡富美代と双壁とされる要素であったと思います。
そして、そんな佐夜子が私の心を捉えて離さなくなった決定的なきっかけは、その年の体育大会でのことでした。
私どもの高校は毎年9月の下旬に体育大会が行われていたのですが、その本番当日の前に何度か、全校生徒参加による入退行進の練習が行われるのが恒例でした。行進は各クラスごとに男子女子の順で整列し、そのクラスの先頭にはクラス名が書かれたプラカードを掲げた副学級委員が歩き、それに続いてクラス旗を持った学級委員、そして男子生徒と続いたのです。
私どものクラスの先頭は、当然副学級委員の佐夜子です。私は身長が高い方だったので、行進の順は学級委員のすぐ後ろに位置していました。その位置ですと私のすぐ前、わずか数メートルの所を佐夜子は歩いている形になっていました。
そんな絶好のロケーションでしたから、行進の最中、整列、準備体操、退場行進と、その一部始終で私は佐夜子のブルマー下半身を凝視していました。ペニスが勃起してきてしまうのを抑えるのに苦労しましたが、もしも万が一抑えきれなくなってトランクスの脇からペニスが飛び出してしまってはまずいと思い、それ以降はブリーフ・タイプの下着を着用するようにしたほどです。
体育大会の本番当日は前回の手記でもお話ししたとおり、私は臨時の記録係としてカメラを持ってその光景を撮影することが役目でした。前回の手記では吉岡富美代を撮影しまくったことしか書きませんでしたが、実際のところ私が撮影の個人的ターゲットにしたのはこの小森佐夜子も同様だったのです。そして吉岡富美代と同じく、小森佐夜子の写真も一般には公表せず、私の個人的なオナニー・アイテムとして抱え込んだのです。
その体育大会で記録できた吉岡富美代のブルマー写真で私の怒濤のオナニー・ライフがスタートしたのは前手記でお話ししたとおりですが、実は富美代と同時に記録できた佐夜子のブルマーも私の重要なオナニー・アイテムとなったのです。つまり、富美代と佐夜子のブルマー写真を交互にオナニーに使用し始めた、というのが実情でした。
校内の他の男子生徒がまだ誰も持っていない校内マドンナ・ツートップのブルマー姿の写真、それはおそらく物凄く価値のあるものだったに違いありません。それを私が独占し、自分のオナニーのためだけに使用しました。
私は、来る日も来る日も富美代と佐夜子のブルマー姿の写真でオナニーをしました。高校二年の後半は彼女たち以外の対象でオナニーをした記憶が思い出せないくらいです。僕にとって彼女たちツートップ、そしてそのブルマー姿はそれほどまでに絶対的なものだったのです。
やがて高校二年も終え、三年へと進級し、夏期の衣替えがあった直後に私が富美代の生ブルマーを手にすることができ、それで至上最高のオナニーに至ったことは前手記で詳しく書いたとおりです。
そうして富美代のブルマーでオナニーに成功したわけですから、ツートップ・オナペットとして執着してきていたもう一人の相手、佐夜子の方はどうなっているんだ?と皆さんの中には疑問が出てくるところかもしれません。
実は、初めての生ブルマーでのオナニーに成功した相手が富美代だったのはたまたま、だったのです。富美代のブルマーを直に手にするまでは、まさか女子生徒たちが学校の自分のロッカーにブルマーを入れたまましていたなんてことを私は全く知らずにいたのです。ひょんなことからそうしたケースがあるということを知り、それならばということで密かに開けさせて貰ったロッカーがたまたま富美代の方が先だったと、それだけのことだったのです。ですから、佐夜子のロッカーを先に開けていたとしても、何の不思議もなかったというわけです。
富美代の生ブルマーでのオナニーに成功した私が次に狙いを定めたのは当然、佐夜子のブルマーです。それしかありません。
富美代のブルマーを手にすることが出来るのは一週間に一度、火曜日から水曜日にかけての放課後のみということは前手記で書いた通りです。つまり、それ以外の日はたとえ昼間に体育の授業があったとしても彼女はブルマーを家に持ち帰ってしまうので、私がそれを手にすることはできないのです。体育の授業でブルマーを使用しなくなる衣替えが行われるまでの間、火曜日を利用して都合7回、私は富美代のブルマーを拝借してオナニーをさせて貰いましたが、そのブルマーはいつも同一のものでした。運動部系の部活動もしていなかった彼女は、高校生活を通して使用したブルマーは一枚だけだったと、そのことも私だけがよく知っていることです。
富美代のブルマーを手にすることができない他の曜日の某日、私は放課後を待ち、佐夜子のロッカーに忍び寄ってその扉を開けました。ちなみに、高校三年では私と佐夜子は違うクラスになっていましたが、彼女のクラスでの名簿番号はとっくに把握しており、彼女のロッカーを特定することなど私にはわけもないことでした。
佐夜子も他の生徒たちと同様、自分のロッカーに施錠を施すことはしていなかったので、その扉はなんなく開けることができました。
カチャリ…
扉を開けた私がその中を覗き込むと、そこにあったあまりの様子に少し驚きました。佐夜子のロッカーの中には何も入っていなく、がらんどうだったのです。
参考書など、書籍の類いも一切入っていませんでした。
何も入っていませんでしたが、唯一、紺色の布地のものが一枚だけ、折り畳まれてそこにちょこんと置いてありました。
いうまでもなく、それはブルマーでした。
私はそのあまりの意外さに、もう一度ロッカーの扉に書かれている番号を確認しました。
28番
それは間違いなく、私が記憶していた彼女の名簿番号です。
それを確認できたらうかうかはしていられません。私はそのブルマーを素早く懐にしまい込み、ロッカーの扉を閉めて急いで最寄りのトイレに駆け込みました。
トイレに駆け込むと、私は懐のブルマーを取り出し、まずはしっかりとそれを観察することにしました。
富美代のブルマーに続き、二枚目に手にした同級生のそのブルマーは、富美代のものとは明らかに手触りの異なるものでした。富美代のものとは製造メーカーが違うのは一目瞭然でした。私の高校は、体育で女子が着用するブルマーに関しては特にメーカー等の指定はなく、濃紺の生地でラインなどが入っていなければそれで構わないという規定だったようです。ですから、生徒の中には中学時代に使用していたものを高校でもそのまま使用し続けていたケースもあったかもしれません。
それはともかく、私は手にしたブルマーの裏地を確認しましたが、ネームなどの縫い付けは特にありませんでした。次に私はブルマーの左上部に縫い付けてあるメーカーロゴを確認しました。イエローを下地色にしたそのロゴは、これまで散々オナニーに使用してきていた佐夜子のブルマー写真で確認できていたものと同一でした。そのロゴマークがこのブルマーの持ち主が誰であるかを明確に物語っていました。
手にしたブルマーが佐夜子のものであることさえ確信できれば、もう何も躊躇することはありません。目的達成!です。佐夜子のロッカーの中が意外な状態であったことなども関係ありません。唯一、大目的にしていたものだけを入れたままにしてくれていた彼女に大感謝の気持ちでした。こうなれば、もう目的に向かって突っ走るのみです。
「ああ、佐夜子!」
私は一声そう呻くと、ズボンの中で痛いほどの勃起が始まっていたペニスを取り出し、その場で激しくオナニーを開始しました。
僕のペニスは本当に幸せでした。
校内でダントツの男子生徒人気を誇るツートップ・マドンナの生ブルマーを立て続けにゲットでき、その歓喜の中でオナニーに耽ることに成功したのですから。
勃起の充実度、射精の幸福感は筆舌に尽くしがたいものがありました。こんなことが続いていいものだろうかと、心底その幸運を噛みしめました。
佐夜子のブルマーでのオナニーにも成功した私は、彼女のブルマーもまた富美代の時と同じように元通りロッカーに戻しておくことにしました。理由は前手記でも何度も説明したとおりです。本人が着用したままの未洗濯の状態のものでまたオナニーに使用させて貰いたかったからです。私にとってこれはとても重要なことでした。
ブルマーが何よりも好きなのは勿論なのですが、そのブルマーの持ち主が誰かということ、そしてその持ち主が使用したままの状態でそれを手にすることが私の興奮を最高に掻きたててくれる理由になっていたからです。無論、私に貪られたそのブルマーをまた本人が何も知らずに着用しているという事実も更に私を興奮に誘ってくれたことは言うまでもありません。
佐夜子のブルマーでのオナニーにも成功した私は、それを機会にそれから何度も彼女のロッカーを開けることになりました。それを繰り返すうちに分かったことなのですが、彼女は自分のロッカーをブルマーの置き場以外に使用していないこと、そして体育の授業の日程に関わらず彼女は常にブルマーをそこに入れたままにしているということでした。要するに土などで酷く汚れでもしない限りはいちいちブルマーを洗濯のために持ち帰るようなことはせず、普段は常にそこにブルマーを置いたままで体育の授業のたびに繰り返し使用していた、ということだったのです。これは私にとって願ってもないことでした。そして彼女としてはそれはあまりに油断が大きかった、ということでもありました。
そのことをを証明するかの如くですが、曜日に関わりなく私が彼女のロッカーの扉を開けた際にそこにブルマーがなかったことは一度たりとてありませんでした。いつもそこにはブルマーだけが置かれていました。それはまるで私にオナニーされることを待っているかのようでした。幾多の男子生徒たちの妄想のネタとなっている筈であろう、そのマドンナの股間に密着していたという事実を持って私の手に取られ、そこに残されている股間の残滓を私に貪られ、匂いを嗅がれ、私の勃起を激しく誘発したのちに、毎回夥しい射精に誘ってくれるのです。
佐夜子も富美代と同様、体臭はあまり強い方ではないということを僕はそのオナニーの中で知りました。彼女のブルマーの股間部分をいくら貪っても、性器の残滓らしい匂いは一度も確認できたことはなかったからです。こまめに洗濯をされることもなく繰り返し使用され続けている筈のブルマーにしては、そのことは私にも少し意外なことではありました。
その代わり、佐夜子のブルマーには富美代のものとは異なる、明らかな匂いがありました。汗臭い匂いではなく、彼女が使用していたかもしれないコロンのような匂いが付いていました。それはそれでまた、私のオナニーの欲望を更に高めてくれる要素になっていたことは間違いありません。
ですから、後年、色々な方々その体験談で語られているような汗臭い匂いや尿などの排泄物の匂いをブルマーで確認できたという経験は私にはありません。そうした生々しい匂いは富美代や佐夜子には無縁で、むしろ美少女で優等生らしい本人たちのイメージそのままの清潔で爽やかな(?)な匂いが彼女たちのブルマーにはあったというのが私の実感です。性器の残滓はなくとも、そこに彼女たちの股間が密着していたという事実は確かなのですから、それだけで私の勃起中枢は激しく刺激されたのです。
ともあれ、佐夜子のブルマーでの成功と、それは常に彼女のロッカー内にあるというその状況を把握できてからというもの、私が彼女たちのブルマーで生オナニーをするサイクルが決定しました。
すなわち、火曜日の放課後は富美代のブルマーを自宅に持ち帰って一晩中オナニー。それ以外の曜日は不定期に佐夜子のロッカーを開けてそこにあるブルマーを取り出して校内トイレでその場で始めるか、或いは自宅に持ち帰って夜通しオナニーをするかをその時々の気分で決めていました。ですから、一週間に一日だけという限定付きだった富美代に比べ、トータルでオナニーに使用した回数は佐夜子のものの方が必然的に多くなりました。火曜日以外でオナニーしたくなった時に佐夜子のロッカーを開ける、そんなことが常になっていったのです。
そんな富美代と佐夜子の生ブルマーでのオナニー・サイクルの日々を過ごすうち、一学期も終わり、夏休みも過ぎ、秋の体育祭までまで無事に終了しました。その間、ずっと私の生ブルマー・オナニーは休むことなくずっと続けられていたことは言うまでもありません。女子人気には全く無縁だった私にとって、それは夢のような日々でもありました。
そんな折り、小森佐夜子が学校を休んでいるという噂を耳にしました。
何があったんだろう?と思った私は、彼女のクラスメイトで比較的私とも言葉を交わしてくれる機会のあったある女子生徒にその経緯を訪ねました。それによると…
「体育大会開けの最初の休日、佐夜子は以前から付き合っていた大学生の恋人とラブホテルから出てきたところを補導員に見つかってそのまま補導された。高校生での不純異性交遊の現行犯ということで、暫くの自宅謹慎処分にされている」とのことでした。
そのことを知らされた私は、その衝撃に打ちのめされた思いがしました。
あの小森佐夜子が不純異性交遊!? ということは、彼女はもう既に処女ではなくなっている、ということなのか!?
私は佐夜子に裏切られた気持ちになりました。無論、それは彼女に意識もされていない私の勝手な感情なのですが、それでも彼女のことを神聖視していた私にとってはそれは許しがたいことでした。あれだけの魅力を持った女性なのですから恋人がいたとて何の不思議もないのですが、まだ女性と付き合ったこともなかった私には彼女は女神であり、究極の憧れであり、そして清く美しい絶対的なオナペットでもあったので、恋人がいたという事実は私にとってはあまりに大きなことでした。
「あの佐夜子が…」
私は暫くそのショックから立ち直ることもできませんでした。
やがて、その年の9月最後の火曜日になりました。この火曜日が過ぎれば、もうすぐに月替わりとなり、それは同時に衣替えにもなるので、富美代が教室のロッカーにブルマーを置いて帰宅するのはその日が最後、ということになります。
私はまだ佐夜子の事件から立ち直れないましたし、佐夜子もまだ自宅謹慎のままで登校はしてきていませんでした。
それでも、富美代のブルマーを手にすることが出来る最後の機会を逃すわけにはいきません。
私はこれまでの火曜日と同様、放課後を待って富美代のブルマーを手にしました。
そこまでした時、私はもう一つ別のことを思いつきました。
次に私がとった行動は、富美代のブルマーをゲットしたその足で別のクラスに行き、佐夜子のロッカーを開けたのです。
佐夜子本人はまだ登校してきてはいませんでしたが、ロッカーの中にはいつもどおりにブルマーが置いてありました。私はそれを取り出し、持っていた鞄の中に入れました。鞄の中には先に取り出してきていた富美代のブルマーが入っていました。私の鞄の中で、富美代と佐夜子のそれぞれのブルマーが重なりました。その日私はその二枚を家に持ち帰ることにしたのです。
その日の深夜。
私は自分の布団の上に、持ち帰った二人のブルマーを広げて並べました。
それぞれではこれまで何度もオナニーに使用させて貰ってきていましたが、こうして二枚を並べるのは初めてでした。
暫く二枚を眺めたのち、私はまず富美代のブルマーを手に取ってその股間の股布部分に鼻を埋めました。相変わらず、生々しい匂いはありませんでしたが、彼女のものである嗅ぎ慣れた優しい匂いが私の鼻腔を満たしました。ブルマーを広げる前に既にズボンもパンツも脱ぎ去り、丸出しにしておいた私のペニスがその刺激で激しく脈打ち始めました。
それを合図に、校内マドンナ・ツートップのダブル・ブルマーでのオナニーが開始されました。
私は左手に持った富美代のブルマーに顔を埋めながら、空いていた右手で佐夜子を掴み、その股布部分にギンギンになっていた自分のペニスを押し当てました。こうした直接ペニスに触れさせる行為は、富美代のスクール水着でオナニーをした時以来のことでした。私はそのオナニーで佐夜子のブルマーを徹底的に汚し尽くす決心をしていたのです。
佐夜子のブルマーの股間部分に射精をする。どうせお前はもう既に大学生の恋人の射精をその股間に受けているのだろう。ならば俺もお前の股間に射精をしてお前を汚してやる。俺に射精されたブルマーはもうお前に返しはしない。この後、何度も何度も俺のオナニーに使用し、俺の射精を受けさせてやる。お前が自宅謹慎が解けて登校してきた時、自分のロッカーからブルマーがなくなっていることに気付く。その時、お前はそれがどうしてなくなったかを想像するだろう。そうだ、お前の予想どおりだ。お前のブルマー男に使われている。俺のオナニーに使われている。そして、射精され、汚されている。そしてこれからも汚され続けるのだ。何度も、何度も。夥しい量の精液でお前のブルマーはドロドロにされていく。その現実を想像し、打ちのめされるがいい!
私はそうした感情に支配されながら、自分のペニスをこれでもか!というくらい激しい勢いで佐夜子のブルマーに擦りつけました。ブルマーの股間部分は擦りつけられる私のペニスから分泌される先走り液でみるみる汚され、透明な糸を引きました。
富美代の股間を咀嚼しながら、佐夜子の股間を汚す、校内マドンナ・ツートップを同時にレイプしているような気持ちになっていました。あの興奮、あの感激、まさに筆舌に尽くしがたいとはあの時の私のことでした。
やがて、私は短い呻き声とともに、佐夜子のブルマーに射精を開始しました。
ブルマーの股間部分に押し当てられたペニスがドクドクと脈動を繰り返し、その先端から夥しい量の精液が放出されました。精液は瞬く間にブルマーの布地に広がり、白色の分子がその上で泳ぎ始めているかのようでした。私は睾丸が空にになるほどの射精を佐夜子のブルマー上で行っている気分でした。
その一部始終が、とうとう佐夜子のブルマーが私の精液をその全面で受け止めさせられた瞬間でした。
富美代と佐夜子のダブル・ブルマーでのオナニーを終えた私は、翌日、富美代のブルマーだけを元通り彼女のロッカーに戻しておきました。それがそのブルマーとの永遠の別れになることも自覚していました。
富美代はとうとう最後までその事実に気付くことはありませんでしたが、私はそんな彼女と、彼女のブルマーに「ありがとう」を言いたい気持ちになっていました。これほどの感激と興奮と充実した時間を過ごさせてくれたのだから、これは自然な感情だったと言えるかもしれません。
そして、佐夜子のブルマーはそのまま手元に残しました。その後も何度もオナニーに使用し、射精で汚れが酷くなると洗濯をしてまたオナニーに使用しました。最後は放出された精液にカビが生え、それがもとで生地がボロボロに劣化するまで酷使したのです。もうオナニーにすら使えなくなって私がそれを廃棄するのはそれから三年後のことでした。つまりその三年間、佐夜子のブルマーは私の射精をことあるごとにずっと受け続けたのです。
全三話に渡って書き綴ってきた私の高校時代のブルマー体験談は以上です。これで全てを語り尽くしました。
こんな強烈で私にとって素晴らしい体験をさせてくれたブルマーが、いまはもうどこの中学、高校にも残っていない。こんな現実を、まさかあの時に想像するなんてことはできませんでした。
悪夢のような現在、少なくとも私にとってはそうです。
でも逆に言えば、そうであるからこそあの時の私の体験が貴重で、とても幸せなものだったと言えるのかもしれません。
ブルマーをリアルタイムで体験できた私どもの世代、その幸運を心よりかみしめつつ、この手記を終わりとしたいと思います。
本当にありがとうございました。