30年前に結婚した智美は当時まだ20歳、新婚時代は素人投稿に痴態を掲載されていた。
智美と俺の付き合いは、俺が大学2年のときまで遡る。
当時、中学3年だった智美は、高校受験のための塾に通ってて、その塾で夏休みに夏期講習をしたんだが、当時工学部の学生だった俺は、理科の講師のバイトをした。
その時、メッチャ可愛い三つ編みの女の子が目に留まり、それが智美だった。
その頃、俺には専門学校生の彼女がいたから、誑かすことはしなかったが、優しく接していた。
俺が大学3年になって、専門学校生の彼女は卒業していなくなり、淋しい思いをしてる時、セーラー服が似合う三つ編み少女とすれ違い、お互い、同時に振り返った。
「先生!」
「智美ちゃん!」
智美は、県立高校では珍しい清純派の学園のアイドルだった。
でも、この日から俺と付き合うようになって、まだ青い純潔を散らした。
夏の白いセーラー服に袖を通した頃、清純な印象はそのままに、淫女の本性に目覚めていった。
生チンポの快感に染まった智美は、
「あなたのオチンポに出会って、私は淫らに変わったのよ。」
と、清純そうなセーラー服姿で、恥辱凌辱の高等性教育にマゾの本性を晒すようになった。
根元まで入った生チンポの感触に、
「このおチンポのためなら、どんな命令にも従います。」
とマゾ性奴の誓いを立てた。
上だけセーラー服を着たまま、後ろ手を着いた対面座位で繋がる結合部を写した写真は、清純そうな三つ編み少女が大股開きで、イキリ起った怒張を可愛いマンコにズブリと差し込まれ、虚ろな表情をしている。
クラスメイトが見たら、卒倒するレベルだ。
県立高校時代から、清純アイドルとして人気があった智美は、誰しもが処女を疑っていなかった。
そんな清純は三つ編み少女は、20歳になると、家を飛び出し押しかけ女房、
「毎晩淫乱を仕込んでください。」
と、若くして私の妻の座に収まった。
昼間は近所でも評判の清純若奥様だが、夜は恥辱凌辱にむせび泣くようになった。
どんな羞恥にも嬉々として応じる変態若妻は、ハマトラの似合う清純娘で出かけるも、その中身はノーパンノーブラで、淫らな妄想に浸って内股からくるぶしまで愛液を漏らししてた。
夜は我慢できずに陰唇を押し開きながらチンポ乞いして、跨って腰を振りまくった。
第一子妊娠出産の折、直腸にバイブを挿し込み、その振動に喘ぎながら、
「あなた、こっちの穴も使えるように鍛えてたの。入れて。」
と直腸快楽に肛門中出しで応えた。
デジカメが普及する前までは、投稿誌に載った智美の痴態を保存してきた。
その後、デジカメが普及してきてからは、投稿することなく、智美の痴態を切り取ってきた。
たくさんの智美の痴態、だがそれは、6年前に途絶えてる。
もう、智美の痴態が増えることはない。
そして今年、智美の七回忌を機に、智美の全ての痴態を保存したDVD-Rと投稿誌を処分した。
智美が変態マゾ妻だったことは、俺の心に残るだけでいい。
智美の痴態が載った雑誌が、一斗缶の中で灰になって行った。
立ち上る煙が、一瞬、智美に見えた…