〈長文・中編〉
「器楽クラブの生徒は集合してくださーい!」
俺のクラスの担任であり、器楽クラブの顧問でもある順子先生の呼びかけに、帰宅す
るためにスニーカーに履き替えた俺と、Kartell長靴を履いた優里花が反応する。
俺は楽器を演奏するのは好きだが、今は疲れている。優里花や他の部員も同じなよう
で、その反応は渋かった。
なにせ半日の稲刈りということで、給食すら出ないことになっている。
その反応を見越してか、
「給食は稲刈りがない、低学年の子たちの余りを融通してもらいます。」
との前置きを挟んだうえで、事情を説明しはじめた。
要約すると、実は10月の初め、町のパレードに器楽クラブがエントリーすることに
なった。その話は8月から聞いていたが、パレードの練習は体育館でしか行っていな
かった。
器楽クラブは今年設立されたばかりであり、衣装も今までは私服だったが、このパレ
ードを機に、ユニフォームを作ることになった。
天候も、本番まで雨の日がちらほらあって、今日を逃したら実践的な屋外練習は本番
まで出来ないかもしれない。決め手として注文したユニフォームが昨日届いたばかり
であるというのだ。
小学生とは単純なもので、食い物が確保できると聞いたら、皆やる気を見せ始めた。
みんなそれほど楽器が好きなのだろう。もちろん俺もその一員だ。
給食が終わると、まずはユニフォームが配られた。
ユニフォームは男子が青のYシャツっぽい上着に白のタスキ、黒い長ズボン。そして
羽根つきの帽子だ。
半面女子の物は、上着と帽子のデザインは一緒だが、下は黒の折り目がないスカート
である。ブラウススカートというのかな?
ユニフォームは先日に生徒一人ずつ採寸して発注したものであり、実に着心地がよか
った。
女子はユニフォームのあまりの可愛さにキャーキャー騒いでた。
しかし、パレードでは動き回って演奏するということもあって、靴は運動靴を各自準
備することとなっていた。動きにくいローファー強制よりは、良い判断である。
ユニフォームを見て、やる気に満ち溢れた生徒たちは、早速集合場所である校庭へと
向かう。
俺も担当するシンバルを持って昇降口へと急いだ。
後ろからは、マーチンググロッケン(肩に引っ掛けて演奏できるグロッケンのこと)を
担当する、優里花も続く。
練習は、30分後に楽器を持たずに体育着で校庭に集合し、とあるトレーニングを行
う。その後、ユニフォームに着替えて楽器を持って、目玉であるパレードの練習だ。
スニーカーに履き替えて軽快に走っていく、元気な生徒の背中を見ながら、俺もピロ
ティに靴を並べた。
靴を履こうと落とした視界の隅に、黄土色の物体が現れた。
優里花の、Kartell長靴だ。稲刈りが終わっても洗えずじまいであり、泥没した部分
が黄土色に汚れてしまっている。
横目に優里花を見ると、恥ずかしいのか頬を赤らめて、周りを確認している。俺たち
以外は居ないようだ。
一呼吸置いて、優里花はKartell長靴に足を入れると、足早に集合場所へと歩きだし
た。
その様子を、遠目に見ている人物がいたのを、俺は見逃さなかった。
離れた遊具で遊ぶ、同クラスの瑞穂(ミズホ)ちゃん以下数人だ。瑞穂は、穂香(前編
にて登場)とは低学年からの仲らしく、今回の長靴の件も、穂香を抜きに優里花が注
目を浴びていることを快く思っていないようだ。
瑞穂は女子のガキ大将という表現がぴったりの、気が荒くてプライドの高い女子だ。
優里花がピロティに出てきた時点で、一緒に遊んでいる友人に何か合図をしており、
俺は胸騒ぎがしていた。
合図された友人は、すぐにどこかへ行ってしまったが、その集団に穂香の姿はなか
った。少しきな臭くなってきた。
汚れた長靴で校庭を歩く優里花。その様子を見た瑞穂がついに仕掛ける。
優里花の後ろから肩をトントンと叩き、何か話しかけている。数秒後、優里花は返事
をしたのか、肯定の方向に頭を動かし、2人で体育館の裏手へ回っていった。
俺は、気づくと物陰に隠れながら2人を追っていた。俺も、優里花との付き合いは長
い。心配なのだ。
体育館の物置の陰に隠れて事態を観察する。グラウンド側は舗装されている体育館周
辺だが、裏手は池跡を利用した、花壇の残土置き場となっている。
昨日まで降った雨によって、池跡に置かれた土には、水たまりができていた。
よく見ると、池跡の奥のほうにボールが落ちているではないか。予感は的中した。
瑞穂含む4人は、優里花に対して話しかけながら、例のボールを指さしている。
優里花は渋った様子で、瑞穂は段々とイライラした態度に変わる。俺は、少し距離を
詰め、なんとか彼女たちの会話が聞こえるようになった。
瑞穂
「だから、ボールを取ってほしいんだって!あんたは長靴なんだから、いいじゃん」
優里花
「あの・・・いや、なんだけど・・・」
聞くからにトラブルが起こっているようだ。会話は続く。
瑞穂
「ボール無くなったらまた学年集会で説教だよ。あんたのせいでね!」
優里花は足元のKartell長靴を見るように俯いたまま、だんまりだ。
「瑞穂~、何やってんの?」
わざとらしいセリフを吐きながら、奥からもう一人の少女が姿を現す。穂香だ。
なんとハンター長靴を履いている。
優里花は救われたように、顔を上げ、
「ほら、穂香ちゃん、長靴履いてるよ。私は練習に行かなきゃいけないの・・・」
と説得する。
待ってましたと言わんばかりに、穂香がニタっと笑いながら反論した。
「あたしの長靴は、この学校で一番偉いの。あんたの汚い長靴とは違うんだよ。」
と足元のハンターを指さした。
ハンター長靴は、洗ってきたのか、テカテカと黒光りしている。
温和な優里花も、これにはさすがに怒りを露わにした。
「私のカルテル(Kartell)が汚れたのも、穂香ちゃんが私を押したからだよ!」
それどころか、
「ハンターなんて、1万円でも買えるじゃん!私のは、2年も欲しいもの我慢してよ
うやく買ってもらったんだよ!!!」
と声を張り上げて怒る。
そんな今までにない優里花の態度に、若干驚きながらも、穂香含む5人は開き直る。
「おまえ、値段でモノを決めるなんて、ほんとにサイテーだね。」
と屁理屈を吐き捨て、優里花を囲んだ。
彼女達は、取り囲んだ優里花を誘導して、埋め立て池に優里花を落とす作戦なようで
ある。優里花は、彼女らの目論見通りに、池を背に向けて止まった。
穂香と瑞穂は、腕を組んで、追いつめられた優里花に最後の忠告をする。
「その薄汚いボロ長靴で、せいぜい強がるんだね。」
そして穂香が、優里花の肩に手をかける。また、押しのける気だ。
「優里花、先生が呼んでんぞ!」
俺は、無意識に叫ぶように呼び掛けた。
「やべ、見られた」という表情を浮かべた穂香が、こちらを振り向く。
穂香の手は、優里花を押す寸前で止まった。優里花は、とっさの判断でその手を掴ん
で、自らの位置と入れ変えるように手前に引っ張る。
優里花の横を、すり抜けて埋め立て池へと吸い込まれる穂香。反射的に、右足が泥沼
と化した地面に着地した。
穂香のグロス仕上げのハンター長靴は、その半分以上が泥に埋まった。
唖然とする残りの4人は、すかさず敵討ちとして、優里花を落とそうと歩み寄る。
俺は、声を張り上げる。
「全部、見てたからな?」
この言葉に怖気づいたのか、泥にハマった穂香を引っ張り上げると、そそくさと退散
していった。
危機が去ったことに、優里花は安堵したのか、頼りなくその場にへたり込んだ。
服は緊張からか、汗びっしょりだ。
「ありがと・・・。」
と力なく俺に礼を言って、笑みがこぼれる。
「もう、今日は災難だよwまったく、あっついなぁ」
と言いつつ、長袖の上着を脱いで、涼しい半袖の体育着となった。
そのまま座り込んで、自慢のKartell長靴をも脱ぐ。
脱いだKartell長靴をどうするかと思いきや、なんと優里花は両腕で長靴を抱きしめ
た。そして長靴を顔に添える。
閉じたまぶたの間からは、雫が零れ落ちるのが見えた。
「ねぇ、私の長靴が一番だよね。」
と声を震わせて優里花が呟く。
「もちろん、当然じゃん。」
反射的に俺も返した。
それを聞いた優里花は、Kartell長靴を一層強く抱きしめたようだった。
5分ほど経ったであろうか、ふと優里花はKartell長靴を顔から離して、地面に置い
た。座り込んだまま、器用にKartell長靴に足を滑り込ませる。
すっかり忘れていたが、そろそろ練習が始まるのだった。
「イケない、行こう!」
と言って、優里花は堂々と歩み始める。
元から黄土色に汚れていたKartell長靴だったが、先ほどの騒動の後、抱いた優里花
の雫や鼻水を受け止めたKartell長靴は、さらにヌタヌタに汚れてしまった。
されども、優里花は恥じらいを一切見せない。その歩みはもはや自信に満ちている。
時間通りに校庭に集合し、いよいよ練習が始まるのだった。
続く・・・