昭和生まれの私は、幼い頃近所の女の子たちと頻繁に遊んだ記憶があります。
どちらかと言うと年上の小学生の児童で、親がいない間に自分のアパートに招いたりしてました。
遊びは他愛もないものでしたが、中にはマセた女の子もいて、私のズボンを下ろさせてオチンチンを触ったり、四つん這いになりお尻の穴に何かしら棒を突っ込んだりされてました。
逆に、大人しそうな女の子に対して、私が彼女のお尻の穴に丸みのある鉛筆やドライバーのようなもので悪戯をすることもありました。
時には勉強机の上に乗って、お互いシャンプーのボトルか何かで肛門から液体(水)を注入し合ったり…それがお医者さんゴッコだと知る由もなく。
オシッコやウンチするのを見せ合うのも好きでしたが、私の場合年上の女の子のオシッコが飛び出す瞬間に興奮を覚えました。真下で目撃したことはなかったのですが、オチンチンがないのに一体どこから出るのか不思議に思えました。
しかし、意外に女の子の性器には関心がなく肛門ばかり興味があり、ついにはオナニーを経験する前に自分の肛門を弄る、いわゆるアナニーに目覚めてしまいました。
こうして大人になると幼少期のことは忘れがちになりますが、自分の性癖がその頃に原因発端があると思うと、「お医者さんゴッコ」は性の目覚めに重要な役割を果たしたものだと感じずにはいられません。
現代は男女平等、ジェンダーレスな世の中ではありますが、男の子と女の子の違いを理屈でなく実体験で確かめる機会が無くて、ある意味今の子供たちは不幸かもしれません。
もちろん女の子を持つ親なら、今の時代の方が「お医者さんゴッコ」もされず安心なのでしょうけど、でも父親と入浴することさえ淫行のように見なされる時代となると、やはり不幸としか言いようがありませんね。