そんな昔の事をなぜ覚えているのだろう。勿論覚えている事よりも忘れたことの方が多い。
今書いている一連の性経験は自分にとってインパクトが強かった分、記憶にの残りやすかったこともあるだろう。
事柄の性質上、成長過程で何度も思い出し、小学校高学年のころに書いていた日記のようなメモにその時点での考えや記憶を書き残したものがあったと言う事と、中学校のころに当事者たち何人かと再会して話したことが大きかったと思う。
しかし自分の記憶なのか他人の記憶を聞いたものなのか、前後の話から類推しての推測が記憶として置き換えられたものなのかははっきりしない部分もある。
不思議なのは自分の視線で見た映像と俯瞰した映像の二種類があることだ。連続した動画のような映像はあまりない。俯瞰の映像や自分が描かれている動画の記憶は後で組み立てられたものだと思う。その証拠に俯瞰した映像の服装はいつも同じものであまり多くはない写真の中で着ていた服装だ。
たとえば全裸だったのか、下半身だけ脱いでいたのか?と考えてみるといくつかのシーンが浮かんでくる。
まず、ばあちゃんの家では他人が急に入ってくる心配もほとんどないし部屋も手前の部屋ではなく奥の部屋だったので暑いまたは暖かった時期は裸だったと思う。
しかし映像として浮かんでくる中のS子は汗をかいていても上半身は着衣だ。
これについては考えたことがある。自分がしているときの体勢は当然見たことはないが、下にいるS子はそんなに脚を開いてなかったように思う。良くはわからないが多分幼児体型だと下付きではなく前付きがなのか、
いくら体が柔らかいと言っても正上位で大人のように相手の膝小僧に両手を置いて水平に突くとか、両腿をを抱え込んで上から下に突くと言うような体位は無理だったようだ。必然的に蛙開きした相手ににぎりぎりの角度で斜め上から突く形になることが多い。
騎乗位はできたが長続きはしなかった。だんだん前のめりになって胸と胸がくっついてクリトリスを擦り付けている体勢になってしまう。そうなると体温が高い子供だと汗でくっついてしまい動きにくい。だから上だけを着ていたことが多かったんだと思う。もっと重要なことは必要性がなかったから、つまりS子はまだぺったんこだったから触るとか、揉むとかの必然性がなかったからだろう。
そんな事もあり「はめっこ」はバックが多かった。でもS子は逆正上位で抜けてしまったらそのまま恥骨のあたりに押しつけながら動かす素股のパターンが好きだった。
膣で感じられる年齢ではないので仕方がない。無意識のうちにクリトリスにあたるような体勢をとっていたのだと思う。
それに比べると俺は精神的な満足感の方が大切だったような気がする。最終的に「ムズムズ」はあっても不満足なものだし入れれていてもものすごく気持ちいのではなくなんとなく気持ちいいだけなので相手が気持ちよさそうな言葉を発したり表情をしたりするのが楽しかった。
後には慣れたけれど剥け始めたころはその状態で舐められるのは苦痛以外の何でもなかった。痛くはないから苦だけかな?苦しいような切ないような妙な気持だった。
S子と二人きりの時は「はめっこ」より「なめっこ」のほうが多かった。その時は下半身だけ脱いで舐めあってたまに膣や肛門に指を入れて暖かさを楽しんでいた。S子もよく俺の肛門に指をいれていた。その時は排便の快感に似た高揚感みたいなものを感じた
姉ちゃんとY夫ちゃんは付き合っているとかそういうのではなかったと思う。Y夫の母親は明らかに姉ちゃんを嫌っていたし、後で知ったが父親がばあちゃんの一家に親切なのが気に入らなかったようだ。
かといって固い親なのかと言うのではない。どちらかと言えば逆だ。派手で遊び好きと言う感じだった。このおばさんは俺をかなりかわいがってくれていた。
姉ちゃんとY夫もばあちゃんの家でするときはいつも裸だった。冬は靴下を履いたままと言う事もあったが基本的に全裸だったと思う。
ただ最初にY夫の家でやっているのを見た時は下半身だけ裸だった。家族の帰宅や客の来訪を警戒していたからだと思う。
二人は胸を舐めたり舐められたりが好きだったから一番多く記憶している姿はY夫が仰向けに横たわってその右手がばあちゃんの性器を触っていて、顔の上には姉ちゃんの胸が来て乳房を頬張りながら左手は姉ちゃんの性器を触っている姿だ。
面白かったのは両手は違うものを触っているのに左右同じ動きをしている事だった。そうするとばあちゃんの出す声と姉ちゃんの出す声が同じタイミングででるので楽しんでいたのかもしれない。
姉ちゃんの身体はいつもキスマーク(そんな言葉は知らないのでただ、「アト」と呼んでいた)だらけだった。
S子が面白がって俺の身体にたくさん付けて親に見つかったことがある。その時は学校で遊んでいたら(その頃は児童公園なんてものは少なかった)知らない大きいお姉ちゃんが面白いことしてあげるっていって付けられた。嘘をついて逃れた。
S子はそんな感じでよく姉ちゃんの真似をした。騎乗位もそうだ。
姉ちゃんの騎乗位は今思い出してもリズミカルで楽しそうだった。「チャッ、チャッ、チャッ、チャッ」音を立てながら腰を上下させていた。そしてY夫の「べろべろべろ」が出ると動きを止めてばあちゃんに代らせたり
ばあちゃんがいないときは口でくわえた。初めから尻に入れている時はそのままだった。でも外すと茶色い赤ちゃんの「素」が出てくることが多かった。
ばあちゃんの全裸と言うものは見たことがない。その時の都合に合わせて不必要な衣服を脱がせたり捲り上げたりしていたからだ。胸も大きく腹も柔らかで触ると気持ち良かった、ただいつも酒臭くて、起きていてもY夫が来るとすぐに寝てしまうのが不思議だった。
最初のころはいると怖くて、いないとほっとしたが、しばらくたつとその存在自体が当たり前になって、いないとなぜいないんだろうと心配になったりした。
おれとS子は姉ちゃんに頼まれてばあちゃんの性器に手を入れさせられた。他の事をさせる時は命令口調だがばあちゃんにかかわることは優しい頼み方だった。
Y夫は(事実に気が付いていたからだと思うが)少し意地悪な言い方になっていたように思う。実際、後に知った事であるが知っていたそうだ。
俺とS子が手のひらを合わせて指と指を絡めて繋ぎそのままばあちゃんの性器に入れさせたりした。
でも俺は手を入れるのが嫌いではなかった。最初は怖くてぬるぬるしているのが嫌で断ったりしていたが、ふやけて指先にしわができるくらい入れているとばあちゃんの声が嬉しそうになって、突き当りで感じるコリッとした物の(多分、子宮口)感触も好きだった。何よりも冬にお湯につけた手みたいな感じが暖かくて気持ち良かった。
でもペニスは前後どちらに入れてもなんとも感じなかったし、いくら頑張ってもばあちゃんの穴からは赤ちゃんの「素」は出てこなかった。
その秘密を明かしてくれたのはS子の母親とその彼氏の黒人兵、そしてY夫の母親だった。
※元投稿はこちら >>