前回はコメントをいただいたのに気づかずそのままアップしてしまいました。すみませんでした。
ご要望のシーンはもう少しだけ後になります。ご容赦を。
Y夫の母親は細身の父親と違って豊満だった。(肥満というわけでもないが)
夏になると襟に手ぬぐいを掛け、開いた胸元は「天花粉」で白かった。
その姿を思い出して友人と「そんな姿はもう見ないな」なんて話をしていたら今でも孫が使っているという話だった。
もともと、赤ん坊のあせも防止のためのものだから当たり前だが。
「でも天花粉なんて言わないよ、ベビーパウダーだとさ」
「正式名はタルカムパウダーじゃないのか?」
「赤ん坊を乾燥させて挽いて粉にしました、か?」
「カルピスだって牛の小便だぞ」
「雀荘でも使うね。牌がくっつかないように」
「麻雀しないから知らなかった」
「性感マッサージで使うらしいよ」
「えっ?」
そのあとも「腰手ぬぐい」や「ズック靴とズック鞄」、「運動足袋」などと話が盛り上がったのだが俺はY夫の母親の事を思い出していた。
ひとつ記憶が戻った。
私の記憶の中に、胸元だけでなく腹、太ももまで白いおばさんが板の間に仰向けで寝転がっているのを俯瞰した映像があったのだがその前後関係の記憶が定かでなかった。
断片的に残っていたのは一緒に銭湯へ行った事、おばさんのおっぱいを吸った事、苦かった天花粉の味。
それをつなげる記憶が戻った。
立って見下ろしているのではなく宙に浮いて見下ろしている姿だ。S子の母親と黒人兵の部屋で最初に経験したときと同じような位置関係だった。
でもおばさんと一緒のときにほかの人がいた記憶はない。
その日おばさんに連れられて銭湯に行った。帰ってきて天花粉を塗ってもらった。そしてスベスベとか言われながら触られまくった。
そして多分、場所を変わったと思う。例の空き室だ。なぜかというと記憶の映像が板の間に敷いたござの上だからだ。そういう部屋はそこにしかなかった。
あとは真っ白になったおばさんの体の上を何度も滑ったというか滑らされたというか…
とにかく支えられた、わき腹がくすぐったかったのに勃起していて、滑るたびにチンチンが気持ち良かった。おばさんのため息が耳元で聞こえてなんともいえない気分になった。
「チンチン硬くなってるよ、気持ちいの?」と言われて吸われた。気持ち良かったのだろうがその記憶はない。
そしておっぱいを吸っているうちに寝てしまったのだと思う。
実は、これ、天花粉の話をした数日後に朝方目覚めの直前に思い出した事だ。そのときは女房が俺のものを触っていたのでごちゃ混ぜになった記憶かもしれない。
幼いころのおっぱいの思い出はそれほどない。ミルクで育ったせいかもしれない。未成長な薄い胸と小さな乳首、寝転がったばあちゃんの左右に少し拡がったおっぱい。そしておばさんのものすごく柔らかなおっぱいだ。
そしてしばらくして私も父親の転勤で引っ越す事になった。
そしてS子との再会はその4~5年後になる。
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