何の巡り会わせなのか、私は他人の性行為を見る機会が多かった。もちろん育った環境が招いた要素もあるのだろうが鼻が利くというか、呼び寄せられる気もする。
実はこの後S子とはしばらく会えなくなる。
黒人兵の任地が沖縄になりS子母子は一緒に渡っていった。その時代まだ沖縄は米軍の統治下にあり外国に行ったも同然だった。
出発の日の事は覚えていない。多分学校に言っていたのだと思う。
子供というのは過去に生きずに未来に生きるものだから時に冷酷だ。少しさびしかったがS子を通してつながっていた「秘密の遊び」から遠ざかっても子供にとっての楽しい事はいくらでもあった。
S子の家は空き家になったのだが不思議な事に新しい住人は来なかった。その代わりというかY夫の家の家族や親戚がたまに使っていたようだ。
そこで私はY夫の母親の新しい顔を見る事になる。ついでに「白いおしっこ」の正体も知った。
その日は多分平日だったと思う。午前中、私は自分の家にいた。理由はわからない。父母は仕事なのかいなかった。
横の家の引き戸がガラガラと開く音がした。
長屋なので振動系の音は良く伝わる。その代わりというか横の家とは土壁で隔てられているので、深夜に柱時計の正時の打音がうっすら聞こえるくらいだ。
誰だろう?退屈だったのかスケベ心なのかまた裏口に回って覗いてみた。Y夫とお姉ちゃんが「おまんこ」するのかもしれないという期待でもあったのだろうか?
いたのはY夫の母親と何度か見かけた事のある男だった。作業服を着ていたので職人かなにかだと思う。
言い争うまではいかないが何か揉めているような感じだった。
その後の事から見て「やらせてくれ」「だめよ。時間がない」「じゃあ、口で」のパターンだと思う。
男が立ったままズボンを下ろし、おばさんが咥えた。大人の勃起したペニスを見る事は稀だったので目が離せなかった。
大きなペニスを頬張るおばさんの表情が、ばあちゃんの時とは違って「おいしいそう」な顔だったのが印象的だった。
その当時子供の小遣いで買える駄菓子も中に糸の付いたくじの飴があった。
要するに金を出してこれだと思う糸を引くわけだが当りは大きな飴はずれは小さな飴というものだ。
あたりを引いた子供は皆の前で見せびらかすように上を向き、口を開き、糸を持ちザラメの付いた朱色の大きな飴を口の中に落とす、そしてまた引っ張り上げ同じことを繰り返す。
おばさんの顔はその時と同じような、嬉しそうで得意げな表情だった。
よく、考えてみれば長屋は玄関と居間が南向きで、時間的には北側の勝手口から見る姿はシルエットに近い筈だ。
実際、私の記憶に残る遠目の画像はシルエットだ。
しかし、おばさんの表情はくっきりと思い出せる。ほかの記憶と混ざっているのかもしれない。
しばらくフェラチオが続き、男は頂点に達したのかいきなり腰を動かし、その勢いでペニスが外れて精液が飛び出した。
両手を腰に当てて口だけで咥えていたおばさんの顔にかかった「おしっこ」はやはり白かった。
私はなんだか怖くなって家に戻った。
しばらくたっておばさんが御盆にお昼ごはんを載せて訪ねてきた。
母親が頼んでいったのか、おばさんが勝手に持ってきたのかはわからない。歌のせりふじゃないがやさしさが怖かった。
やはり、みんなから親には絶対秘密というのを刷り込まれていたからだと思う。
ここからの記憶は曖昧で、誰にも確かめることができない事なので推測しかできない。
覚えているのは二つだけ。
ひとつはご飯の後か途中かはわからないけれどおばさんのおっぱいを吸ったこと。(これはその後もほかの形でしばらく続く)
もうひとつは白いおしっこはどうすれば出るのかと聞いて大笑いされた事。
「女の人のおなかに入ると赤ちゃんができる種だよ」と教えてもらった。
そのときに思い浮かべたのが「白粉花」の種、そういえばすり潰すと白いなと思った。
今でも「白粉花」を見るとおばさんの濡れた唇の絵が思い浮かぶ。
※元投稿はこちら >>