20xx年 植村家に終末の日が訪れた。
終末の日より遡るある日のこと。
父「今年も広島にいくのか?もう子供じゃないんだから別に毎年毎年行かなくてもいいだろうに。夏休みなんだから集中ゼミで勉強のほうも地固めしないといけないし、部活はどうなってるんだ?」
千尋「部活は夏休みは出ないって言ったよ。おばあちゃんとこいくんだから♪」
こうして当時の私は広島行きを反対する父の意向を払いのけ単身、広島の祖母宅へと向かったのです。
父が心配したその理由。それは私が初潮を迎え乳房も膨らみ、俗にいう「年頃」になっていた娘の一人旅を案じての事でした。
ですが思考回路は子供のままの私からすれば父の心配なんてなんのその。
広島に行くだけで父母からのお小遣いがもらえるし、さらに祖母からのお小遣い、そして親戚からのお小遣いと夏はかきいれ時だったのです。
それに、、年に一度しか会えない瑛士君との再会。明確な恋心はありませんがそれに似たようなドキドキした感覚も持っていました。
そして思惑どおりに事が進んでいきました。まだ若かった祖母と瑛士君と三人で広島駅で待ち合わせ。毎年毎年、会う度に「大きくなったねぇー」と言われながらお小遣いを貰えるのは孫の特権だと思っていました。
そして三人で祖母宅へと向かいまずは昼食。そして寝室に荷物を置くのですが、この時すでに祖母はある間違いをおかしていたのです。
それは父から祖母に「千尋はもう子供じゃないから。瑛士君との部屋は別で」と言っていたにも関わらず、祖母がいう「わざわざ部屋を片付けて用意するのがエライから(しんどい)」という理由で子供時代同様に瑛士君と二人の部屋になった事です。
あくまで今思えばですが、年頃の二人にとって慣れない環境で異性の二人で寝るという事が既に後の過ちに繋がる性的な高揚感をもたらす結果に結びついていたのかもしれません。ここは私も覚えているのですが電気を消した後、変にドキドキして寝れなかったのを覚えています。
ただ日中は子供時代と同じでした。毎日のように海に行き、たまに電車に乗って買い物にいったり、あるいは祖母と共に親戚の家回りをして時間を過ごすだけ。あと墓参りですね。そんな感じで毎日があっという間に過ぎていきました。
ただ夜だけは何日経っても慣れずに眠れませんでした。ただドキドキするのです。本当にそれだけでした。
そしてその夜がやってきたのです。。
私がいつものように眠れずにギラギラしていると、気のせいか暗闇の中で瑛士君が近寄ってきている気配がするのです。私はきっと瑛士君も眠れなくて私を驚かそうと何か画策しているのかと思いました。瑛士君はそういう事が好きな子なのです。
私も眠れなくて辛いし、子供の時はよくら枕投げやプロレスごっこ等をやって怒られたりしていたのでそんな展開にまたなれば面白いなぁ、、なんて考えていました。
ですが、、近寄ってきた瑛士君はあおむけに寝ている私のアソコをパジャマ代わりのジャージの上から、サッ、、と指で触れただけで元の位置に戻っていったのです。私は頭の中がパニックになり、、そして気がつけば朝になっていました。
その日から毎夜のように瑛士君は私に接近するようになってぎした。今この年で考えると、彼も彼なりに年齢的に制御し難い性的高揚感と葛藤していたのだろうと理解出来るのですが、初日はかなり緊張したし怖かったです。
そして夜に接近されてアソコや胸を一瞬タッチされる夜が続き、私もあるいみ慣れてきました。今日も何かしてくるのかな?と待っていたくらいです。
それはなぜか?やっぱり彼の事が好きだったからです。
私が好きな瑛士君が、私に興味を持ってくれて葛藤しているのです。私にはそんな瑛士君の行動を否定する事は出来ませんでした。
その四日目くらいの話です。この時は服装がよくなかったのかもしれません。私は無頓着にも裾口が広がったハーフパンツをパジャマ代わりとしていました。
その夜、瑛士くんは接近してきたかと思うといつものようなタッチではなく、、ゆっくりとハーフパンツの裾の中に手を入れてきたのです。私はいつもと違う展開に少し驚きましたが、、、私もそういう展開に性的な好奇心をもっていたのは事実なので特に声を出したりはしませんでした。
薄明かりの豆電球の灯りの中、私はじーっと寝たふりをしました。いや私が寝てない事くらい瑛士君もわかっているとは思うのですが、どうしても悪い事をしているという感覚からコソコソしてしまうのでしょう。彼は慎重に慎重に手を裾の中に入れてきました。
そしてとうとう、、(あ、、パンツのとこまで触られた、、、)
と私が感じると、彼はここまで到達した事により何かが吹っ切れたのかもしれません。
瑛士「起きてるんだろ?」
千尋「うん、、、」
瑛士「嫌がらないのかよ?」
千尋「わからない、、、」
そんな会話をしたと思います。
私が嫌がらない→だからする。
私が嫌がったとき→その時はやめる。
との暗黙の方程式が成立したのです。
そして瑛士君はきっと男の子だから、エッチな事を同年代の女子よりは知っているのだろうと思いました。なぜなら彼がその後に触れてきた部分は、あきらかに私のクリ部分だったからです。
瑛士君は黙々と私のクリを指で触ってきました。その触り方はあまりにぎこちなく、、触ってる本人ですら(ここかな?いや、ここ?)と手探りしながら触ってるような感じでした。
私は(どこさわってるのよ!そこじゃないよ!)と指示したい気持ちは山々なのですが、私も未成熟な存在です。恥ずかしくてそんな事を言えるはずがありません。
ですが時折、クリーンヒットする感覚と異性に触られている、いや触らせている背徳的な興奮に支配されてしまい、、自然と「はぁ、、っ、、はぉっ、、」と声を出してしまいました。
それから瑛士君は私が特定のポイントに触れた途端、ビクッ!とカラダを震わせる法則に気がつき、彼は彼なりに攻め所を身につけた様子でした。
なによりも驚いたのは、、オナニーですらした事がない私が初めて経験した性的快感はこの時だという事でした。同じ年頃の女子の中では、「ここを触れば変な気分になるみたい」程度の漠然とした認識は私も持っていましたが、一部のマセた子を除き殆どの子は「ふーんそうなん」くらいのものでした。
そんな状態の私がオナニーという前段階をすっとばしていきなり異性に触れさせているのです。私は快感によって込み上がってくる嗚咽と性感帯への刺激を初体験し、カクカク、プルプルさせながらじっと耐えていました。
ですが、、瑛士君にとってもこの後の事は想定していなかったし何も考えたいなかったのでしょう。思いのままに私のクリをパンツごしに触り続け、、、そしてキリがないので無理に眠っていったのです。
この日から、、毎晩、瑛士君に代理オナニーをさせる夜が続きました。すると瑛士君も少しずつ慣れてきて、代理オナニー5夜目には私のジャージを脱がし、開脚させながら触ってくるようにもなっていました。
瑛士君は本当に素直な気持ちでオンナのカラダに興味関心があるのが伝わってきました。瑛士君はおそるおそる、、パンツを脱がしてきたのです。。
そしてじーっと私のアソコを見つめ、、舐めるわけでもなく触るわけでもなく、、まだ生え揃わない陰毛をフワフワと指で触ったりしながら観察をしていたのです。
触る
触る 脱がす
触る 脱がす 眺める
触る 脱がす 眺める クンニ
触る 脱がす 眺める クンニ フェラ
という段階をもって私たちは日にちをかけて慣れていきした。
代理オナニー開始から10日目くらいでしょうか、、もう触ることには完全に慣れていて、もう寝たままとかではなく、互いに膝立ちして抱き合いながら触られたりしました。私も硬くなった瑛士君の股間を掴み、なんとなくマッサージのような動きもし始めてました。
すると瑛士君はどこで覚えたのか、、、抱き合っていると急にモゾモゾと私の股にもぐりだし、こともあろうにペロペロと私の性器を舐めてきたのです。
はずかしい!気持ちいい!精神的にやばい!私のあそこ、、瑛士君に舐められてる、、!!
私たちはシックスナインに入ろうとしていました。とはいっても下半身を脱がされているのは私だけ。私の顔前に硬くなった陰部が格納されている瑛士君のパジャマが至近距離に迫ってきたのです。
私は初めての新鮮なクンニの感覚にいつまでも浸っていたかったのですが、そうもいかない展開になってるのはわかりました。なぜ瑛士君がマッサージをできるようになった私に股間を預けたのか?その意味はすぐにわかりました。
私は瑛士君のパジャマズボンから初めて見る勃起した男性器を見ると、、瑛士君が舐めてる以上、私も舐めないといけない!と思いました。そして私は無我夢中で口の中に入れていったのです。
瑛士君は思わず、「き、、きもち、、、!」と声をだしていました。
私はこんな感じでいいのかなぁ、、と無我夢中でフェラをしましたが結果、射精させたところをみるとよかったみたいです。
そして、私たちは挿入行為以外のことならなんでもする関係になっていきました。挿入だけは怖いし、避妊具もないので出来ない。それでもなんとか入れようとチャレンジしましたが私の性器がとてつもなく硬いのと瑛士君が緊張して中折れしてしまうのが原因で簡単には入りませんでした。
そして挿入失敗してからは指で中をこじ開けて挿入空間を作り、、挿入前の開拓もしていきました。
そして、、、指2本くらいが問題なく入るようになり、、私たちは「こんなばーちゃんの家じゃなく」と神聖な儀式をあの例の浜辺で行うことにしたのです。
結果、、浜辺で私たちは性交する事に成功したのです。指での開拓が功を奏したのか、、一度先端だけ入ると後は問題なく奥まで入っていきました。
この時の行為は私の中での大切な思い出なのでこのあたりにしておきますね(ごめんなさい!)
そして無事に外だしも成功。私たちは瀬戸内海が見える浜辺で、、、「付き合おうよ。離れてても、親戚どうしでもいいじゃん。親なんて関係ないよ!」と未来を誓い合ったのです。
ですが。。。
私と瑛士君の性行為に至る過程は、全て祖母に勘づかれていたのです。単純な理由ですが、毎夜のようにミシミシと夜中に木造住宅をきしませ、喘ぎ声を出し、翌日には愛液で濡れた下着を祖母に洗濯させていたのですから無理はありません。あまりに私たちは幼い感覚しか持ち合わせていませんでした。
祖母はそれから叔母に相談。祖母からすれば私の父や瑛士君の父に直接相談する訳にはいかなかったのでしょう。
すると叔母は「あの子らまだ子供やけん!」と私たちの父母に実態を報告。すると翌日には私の両親と瑛士君の両親が広島の祖母宅にきて、、そうとも知らない私たちはその夜も瑛士君と夜布団の中でエッチな事をしていたのです。
私と瑛士君が一緒の布団に下着姿で寝ていると、翌朝、目の前に「千尋!瑛士!!」と鬼のような顔をした母と瑛士君の母が立っていました。
私たちは驚き「ひやぁ!」と変な声をあげました。すると母がいきなり、「ちょっと見せなさい!」と私のパンツを脱がし、下着にセックスの痕跡がある事を確認し、さらに膣まで指を入れられました。
すると母はいきなり私に猛烈なビンタを炸裂。もちろん瑛士君もお母さんに叩かれてまくってました。
そしてジャージなど簡単な服をとにかくきて引き摺り出されるように階段を降りると、「だけら言っただろ!こんな間違いがあるから一緒に寝かせるなって!俺は最初から反対だったんだ!」と父が祖母に怒りくるい瑛士君の父はその場で瑛士君をボコボコ。
祖母は泣き喚く。母同士は謝りあう。瑛士君はボコボコにされる。父は吠え散らかす。私は立ったまましんだふり。
そんな終末の光景があらわれたのです。
それから私たちは親からの取り調べを受け、避妊せずに性行為をした事を自白。のち私は妊娠検査薬へ→陰性。
それから親族間で話し合った結果、私たち家族は葬式や法事でもない限り千尋、瑛士を連れて顔を合わさないという条約が締結。
即座に家に帰る事が決定し、最後の最後で「瑛士!おまえなぁ!!お前に俺たち親がどんな気持ちかわかるんか!」と最後のワンパンを私の父が瑛士君にくらわしてました。
私たちの恋は引き裂かれ、最後の最後まで「千尋ちゃん!」「瑛士君!!」「千尋ちゃん!!」「瑛士君!!!」と無理やり車に乗せられて広島を後にしたのです。
さて、書いてて後半、なんだかコントみたいになってしまいましたが、これが私の浜辺に置いてきた誓いの青春でした。
では読了お疲れ様でした!ありがとうございました。(^.^)
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