お言葉にあまえて、懐かしくも楽しかった思い出を吐き出させていただきます。
夫の従弟が3浪までして入った大学を、さらに留年までしてやっと卒業し、故郷の小学校教諭になることが出来た。
故郷に帰る前に、ということで従兄頭である夫に挨拶に来た。
その晩は我が家に宿泊。子供たちが寝た後にも。遅くまで飲んで愉快に話が弾んでいた。
教員は、下半身にダラシナイ人が多いという。もしかして、都期待して、夫がトイレに行くときを狙って、お酌と称して従弟のそばにより、身体を寄せながらお酌する。
新卒ながらすでにアラサーの従弟は、初めから教員を目指していたとかで、やはり下半身にはだらしが無いようで、そっと私の腰に腕を回してくる。
もちろん夫が戻ってくるときには、何食わぬ顔をして、二人とも身体を離してはいた。
翌朝、夫はいつもの時間に出勤。子供達も学校へ送り出した後、私は従弟の寝ている部屋へ。
そっとドアを開けると、従兄はすでに起きていて、部屋に入る私をうれしそうに眺めながら、素裸の状態で待っていた。
急いで服を脱ぎ、従弟のそばに横たわろうとする私を、従兄は押しとどめ、従弟の顔を跨ぐようにと要求してきた。
私は身体を180度回転させ、お股は従弟の顔の上にくるように膝をつき、顔は彼の腰の上へ。
眼下には、ちょっと短めながら太いものがそそり立っていた。
従弟は、私の股間を指で弄り始める。彼は数回、大陰唇を撫でまわし、クリちゃんを弄り、それからゆっくりと膣孔に指を入れてきた。
思わず喘ぎ声を漏らしながら、従弟の抜き身を咥える。
孔の中をかき回されながらも、従弟の抜き身を唇と舌で舐め回す。
亀の頭を舌で舐め回すと従弟が体の向きを変えてと言ってきた。
従弟と相対し、乳房を従弟の胸に押し付けてから、従弟のそばに横たわる。
従弟が私の身体の上に載ってきた。私は脚を拡げる。従弟は挿れてきた。
三擦り半、という言葉を聞いたことがありますが、従弟は激しく腰を振り始めると、あっという間に放精して終わり。
短いながらも硬く太かったアレも、縮んで小さくなり、私の膣圧に押し出されて、孔の外へ。
正直、いつまでも硬く長く太い夫との違いに唖然としていると、従弟はまた私を自分の身体の上に押し上げ、股間をゆっくりと舐め始めました。
私の淫液と混じり合った自分の精を、厭わずに飲み下しているようです。
一応、瞬間的にでも熱く焚きつけられた股間が、彼の舌の愛撫で、また燃え上がってくるのが解りました。
思わず私も、彼の小さくしなびたOTINTINを口に入れました。
彼の舌の愛撫で、私の股間がまた萌えあがってきます。
すっかり萎びた小茄子を口に含みながら、軽くなったTAMATAMAを指先で弄っていると、小茄子に少し張りが戻ってきました。
すこし丸みの回復してきた亀の頭を、舌先で弄ると、小茄子がだんだん抜き身にまで戻ってきました。
彼の求めに応じ、また正上位の体型に。
今度は彼の腰の動きもゆっくりで、私も少し脚を拡げ、壁圧が少しでも低くなるように努めます。
来た来た来たー、と思わず喘ぎが大きくなり。彼がまた小茄子に戻る直前に、最後の瞬間を迎えることが出来ました。
夫とはしばらくレスなので、久しぶりの究極の嬉びの後の気怠さに浸っていると、彼が体をずらし。お股に舌を這わせてきました。
お掃除クンニ?とでもいうのでしょうか。心地よい気怠さが深まり、少し寝てしまいました。
目を覚ますとお昼過ぎ。急いで起きて昼食の準備。
彼はまだ寝ていましたが、いつまでもそのままにはできず、起こして昼食をとらせます。
彼とダイニングに向かう途中、彼の手が私のお尻に伸びてきて、下着を脱いで、と懇願され、スカートの下に何も身に着けないまま、一緒に昼食。
昼食を食べながらも、彼の手は私の股間へ。
子供たちが帰ってくる前に、と彼の出発を急がせます。
玄関まで行く途中でも、彼は私のスカートを捲り上げ、孔に指を入れながら、歩いています。
玄関を開ける前、彼は再び挿入を求めてきました。駅弁スタイルで挿れられ、三度目の放精をされ、やっと彼を送り出すことが出来ました。
夜に帰ってきた夫は、従弟は帰ったか、と聞いただけで、何も気が付いていません。
この従弟とは、その時限りでした。
でも、時々思い出してはあの時の余韻に浸ることがあります。
特に、コトが終わった後の心地よい気怠さを味わっているとき受けた、従弟の舌による愛撫による静かな悦楽の思い出は、未だに身体の記憶として残っています。
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