私の部屋で見つけた、夫の忘れ物を届けに行った時でした。
カギは持っていたので、いつものように勝手に入って、夫の部屋に忘れ物を置いて、帰ろう部屋を出ると、そこに義兄が立っていました。
義兄は、就職してひとり暮らしを始めて、この時間は家に誰も居ないはずでした。
舐め回すように私を見つめる義兄、小学生の時の恐怖が甦り、逃げようとしました。
義兄は、そんな私の腕を掴み、そのままになっていた義兄の部屋に連れ込まれ、ベッドに押し倒されました。
暴れる私を押さえつけ、義兄が覆い被さって来て、私は唇を奪われました。
義兄の強い力に抗えず、私はそのまま義兄にレイプされてしまいました。
何度も頬を打たれ、義兄のモノが私の中に入って来て、あそこに激痛が走り、私は抵抗する気力も無くなり、ただ早く終わって欲しいと、だけど義兄のレイプは終わらない。
私は、次第にそれすら考えられなくなり、義兄に中に2回、顔に1回、3度も連続で犯されました。
義兄の汚い精子で汚された顔、オマンコから流れ出る赤く染まった精子、その姿を何枚も写真を撮られました。
その後、義兄は私のオマンコに口を付け、流れ出る精子を吸出し、その口を私の唇に重ね、吸出した精子を口の中に流し込んできました。
さらに、顔にかけられた精子も指で運ばれ、口の中に入れられました。
そして、綺麗にしろ!と、真っ赤に染まった義兄のチンポを咥えさせられ、しゃぶらされました。
必然的に、私は口の中の精子を飲み込むしかありませんでした。
恥ずかしい姿を何枚も写真に撮られ、私はこの事を誰にも言えるはずも無く、死ぬ勇気もありませんでした。
次の日、私は義兄のアパートのベッドで、義兄のチンポに跨がり腰を振っていました。
授業中にメールがあり、放課後アパートに呼び出され、義兄命令されるままセックスをしていました。
次の日も、その次の日も、毎日毎日呼び出され犯されました。
そして、レイプされた日から3ヶ月、生理が来ません。
義兄にそれを伝えると、婦人科の女医さんを紹介されました。
前に、義兄のアパートで会った事のある中年の女性でした。
私が呼び出された時、まだ義兄とセックスの真っ最中だった女性です。
その後、ふたりで私を犯した相手だったので良く覚えていました。
すぐに、周囲に知られないように中絶処置をしてくれたのは助かりましたが、当然ですがタダではなく、保険適用外だからと多額の請求が来ました。
そしてそれは、私を更なる地獄へ誘いました。
手術費用の返済の為、私は義兄のアパートで、義兄が連れてくる男達に身体を提供しなければなりませんでした。
義兄の誘い文句は、現役女子高生と生セックス、中出しOKでした。
最初の内こそ、1日ひとりでしたけど、次第に二人になり、三人になり、2ヶ月もすると一度に三人以上と同時にセックスするのが当たり前になっていました。
だから、まだ高校生なのにアナルセックスまで出来る身体にされていました。
そして、この事は更に私の心を苦しめていました。
セックスする事に、罪悪感とか嫌悪感が無くなってる自分に気がついてしまったから。
頭では否定してるのに、セックスが始まると身体が反応してしまう、セックスに夢中になって快楽に飲み込まれてしまう私がいました。
最初は言わされてた淫語、口にするのも恥ずかしい下品な言葉、それを喜んで叫びながらセックスする私がいました。
チンポ、マンコ、中に出して、もっと犯して、チンポ大好き等々。
人形のように、男が果てるのを待つだけだったのに、男が果てる前に何度も逝くようになった淫乱な身体。
そんな自分が嫌で、妊娠がわかった頃から夫ともセックスするようになりました。
汚い自分を、夫とのセックスが癒してくれる気がして、私から夫を誘いセックスしました。
そして、私は夫とのセックスに溺れました。
知らない男達に抱かれた後は、無性に夫に抱かれたかった。
シャワーも浴びずに夫のもとに向かい、汚れたままの身体を何も言わず抱いてくれる夫、夫に抱かれると私は何度も逝った。
高校卒業と同時に、大学に通いながら風俗で働くようになった。
稼いだお金は、すべて義兄に貢いでいた。
自分が許せなかった。
大嫌いな義兄なのに、義兄を御主人様と呼び虐められる事に幸せを感じてる私がいたから。
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