槌槌槌槌槌槌槌槌槌槌槌本文の続き
私と孝子が目を覚ましたのは正午過ぎで、寝る前に居間のテーブルの上に用意しておいた朝食はまったくの手付かずのままなのでした。
瑞穂はまだ寝ているのか?と思った私は娘の部屋の前に赴いて、ドアをノックしたのですが、反応がなく、試しにドアノブを手にして回すと、容易にドアが開いたのです。
(…!?)
ところが、部屋の中に瑞穂の姿はなく、心配になった私はすぐに1階に下りて玄関に行くと、前夜、三人で帰宅した時にはそこにあった筈の娘が履いていた靴がなくなっていたのでした。
どうやら瑞穂は私たちが寝ていた間に家を出たようで、昨日今日の事だったので、大いに気になった私は急いで携帯電話で娘に連絡を取ったのです。
しかし、いつまで経っても瑞穂は電話に出て来ないのでした。
(どこに行ったんだろう…?)
そう思った私は気が気ではなくなり、すぐに孝子にその事を伝えると、孝子も不安な表情を見せて、瑞穂の事をすごく心配したのです。
私たちは前日の晩と同様、瑞穂の友人たちの家に電話連絡したのですが、娘の消息はなかなか掴めなくて、瑞穂より2歳上で小学生の時から知っている高校1年の男子、拓真の家に電話すると、娘は午前中にその家を訪ねて、拓真と二人で出掛けたという事なのでした。
応対に出た拓真の母親からその事を聞かされた私は少しばかり安堵して、拓真に私からの連絡があった旨を伝えてくれるようにと言っておいたのです。
それから僅か20分位後に拓真の母から電話があり、息子に携帯電話で連絡したら、拓真と瑞穂は最寄りの駅から電車で30分位の所の某公園にいるという事なのでした。
その時、拓真の母は瑞穂が拓真に前夜の我が家での出来事を話した事を私に告げたのです。
私と孝子の秘密が遂に身内以外の人間、赤の他人である拓真と彼の母に知られた事で、私は後ろめたい気持ちになったのでした。
ところが、その後、拓真の母の口からは私がまったく予期していなかった意外な言葉が出たのです。
拓真の母は私たちに“両親として”娘を気遣うようにと言ったのですが、それだけではなくて、自分たち“夫婦”も私と孝子と“同じ立場”で、以前、息子の拓真の事で“同じ経験”をしたので、私たち“夫婦”の気持ちが本当によくわかると。
私は拓真の母が言った事を耳にして、一瞬、
(えっ…!?)
と思ったのですが、すぐに彼女の言った意味がわかった私なのでした。
その時の私は
(まさか…?)
と思い、俄かには信じられないような気持ちになったのです。
私と孝子が義理の親子、婿と義母の間柄を隠して夫婦を装っているのと同じく、拓真の父と母も本当は義父と嫁でありながら、事実上の夫婦として生きているのでした。
(自分たちだけではなかった…)
拓真の両親も“そう”だという事を知って、自分の身近に私と孝子と同じ境遇の男女が存在している事実に私はずいぶんと心強い気持ちになり、拓真の母に丁重にお礼を述べたのです。
その日、晩の7時頃に瑞穂は拓真に付き添われて帰宅したのでした。
玄関口に立ちすくんでいた瑞穂はうつむき加減で、ばつの悪そうな表情をしていたのですが、前日の晩に比べると、ずいぶんと落ち着いた穏やかな雰囲気で、柔和な顔になっていたのです。
孝子は拓真に家に上がって一緒に夕食をするようにと誘ったのですが、拓真はすでに駅前の飲食店で瑞穂と二人で食事を済ませたという事で、娘を我が家に送った後、すぐにその場を立ち去り、自宅に帰って行ったのでした。
家に入った瑞穂はやや緊張した面持ちでいて、私が
「これから晩ごはんだけど、どうする…?」
と尋ねると、
「今はお腹いっぱいだから、いらない…」
と静かな口調で答えたのです。
その後、今度は孝子が
「お風呂に入る…?」
と訊くと、瑞穂は私の問いに答えた時と同様、
「まだ入らない… 後で入るから…」
と静かな口調で答え、2階の自分の部屋に行き掛けたのですが、階段の手前で止まると、私たちに背を向けたままで
「昨夜(ゆうべ)はごめんなさい… 今朝も連絡しなくて…」
と言って謝ったのでした。
「あっ… いや…」
私はすぐにはなんて答えたら良いのかがわからず、口ごもってつぶやくようにそう言うと、孝子は
「謝らなくてもいいわよ… 謝らなければいけないのは… あたしとお父さんの方だから…」
と申し訳なさそうに言ったのです。
「あたしも昨夜はちょっと言い過ぎた… あたし、まだお父さんとお母さんの事、全部、許したわけじゃないけど… でも… でも、嫌いじゃない…」
瑞穂がそう言った後、私も孝子も
「瑞穂…」
と娘の名前を呼んだのでした。
「今日、拓真さんと色々、話したの… もしかすると、もう知ってるかもしれないけど、彼もあたしとおんなじだって… だから、あたしの気持ち、よくわかるって言ってた… 拓真さんもあたしとおんなじように、その事、知ってお父さんとお母さんの事、嫌ってた事があったって… ちょっと時間が掛かったけど、でも、お父さんとお母さんの事、許して仲直りしたって言ってた… だから、あたしもいつか自分とおんなじようになるって…」
そう言うと、瑞穂は振り返って私と孝子を見つめ、
「お願い… 今はそっとしといて… あたし、まだ自分の中で心の整理が付いてないから… だけど、心配しなくていいわよ… 拓真さんと話して、ずいぶん気が楽になったから… お父さんもお母さんももうあんまり気にしないで…」
と言ったのです。
瑞穂にそう言われた私は返す言葉が見つからず、孝子と二人で黙って娘を見つめているばかりだったのでした。
階段を上がる前、瑞穂は私たちに微笑を見せ、再び背を向けると、無言で自室に足を運んだのです。
その後、夏が過ぎ去って秋を迎えようとしていた頃になり、私たち親子は和解したのでした。
元の良好な関係に戻った私たち親子で、瑞穂は孝子の事を祖母としてではなくて、以前と同じように母親として見ていたのです。
瑞穂が私と孝子の事を許してくれたのは自分と同じ境遇の拓真の存在があり、彼に説得されて励まされたからなのでした。
拓真も瑞穂と同様、1歳の時に実の父が23歳の若さで亡くなり、その後、彼の母の幸子さんは同居していた夫の父、義父の明彦さんと男と女として愛し合うようになったのです。
孝子が夫に先立たれたように拓真の祖父も妻に先立たれていて、私たちと同じく伴侶を亡くした者同士であった義理の親子、明彦さんと幸子さんもなるべくしてなったと言うか…
瑞穂がそうだったのと同様、拓真もその事実を知った時には大きなショックを受け、それからしばらくの間は母と祖父を憎んで、自暴自棄になっていたらしいのですが、結局、母と祖父の事を許して和解に至ったのでした。
拓真は自分を産んでくれた母の事は無論、自分を実の子どものように可愛がってくれた祖父の事もどうしても本気で憎む事が出来ず、“両親”が男と女として愛し合っている事を許したのだそうです。
そういう似た者同士の拓真と瑞穂はいつしか異性として惹かれ合って行き、その後、恋人として交際するようになったのでした。
それから10年後の6年前、二人は目出度くゴールインして、今では父親と母親になっています。
拓真と瑞穂が結婚する直前になり、二人の口から初めて聞かされたのですが、実は拓真と瑞穂は交際し始めたあの年、16年前の暮に将来の結婚を約束して、お互いに初めて同士で体を許し合い、男と女として結ばれたたのでした。
10年間、その事を知らなかった私と孝子も幸子さんと明彦さんも拓真と瑞穂の告白にはさすがに驚かされたのですが、10代の時から真剣に愛し合って来て、これから夫婦として新しい人生をスタートさせようとしている若い二人に対して、高校生と中学生だった時、15歳と13歳で初体験を済ませてから、それまでずっとセックスしていた事に関しては咎めなかったのです。
と言うか、私と孝子も幸子さんと明彦さんも“自分たちの事”があるので、拓真と瑞穂の事をとやかく言う資格はなかったのでした。
瑞穂の件があってから3年後の13年前、私は大学時代の友人、光男の引っ越しを手伝う為に遠方に住む彼の家を訪ねて、本当に久しぶりで会ったのです。
光男は私たちが現在の居住地に引っ越す前、23年前まで住んでいた地域から少し離れた町に住んでいたのですが、彼もかつての私と同様、遠方の地へと引っ越す事になったのでした。
引っ越しの理由は私と同じだったのです。
その前年、14年前の夏、光男の息子さんが23歳の若さで亡くなり、彼は同居していた息子さんの奥さん、ユキさんとまだ赤ちゃんだった男の子のお孫さんとの三人暮らしになったのでした。
ユキさんと同じく、光男もその4年前に奥さんを亡くしていて、私と孝子や拓真の祖父と母がそうなったように、伴侶を亡くした者同士だった義理の親子、義父と嫁である彼ら二人はなるべくしてなったと言うか、禁断の壁を乗り越えて男と女の関係になったのです。
光男とユキさんが男と女として愛し合うようになってから7ヶ月後、嫁のユキさんが義父である光男の子どもを妊娠した事がわかり、彼らは遠方の地へと引っ越す事になったのでした。
私は光男の家族状況からして多分、私と同じ理由で引っ越す事になったのではないか?と端からそう思っていたのですが、やはり私が思ったとおりだったのです。
光男はそれまでに身内以外の人間には誰にも話した事がなかった自分の苦しい胸の内、嫁のユキさんと男と女の関係になって彼女が義父の自分の子どもを妊娠して、親族から絶縁され、遠方へと引っ越さざるを得なくなった事を洗いざらいに私に告白したのでした。
同じような経験をしていた私には光男の気持ちがよくわかって、彼と同様、私もその時に初めて身内以外の人間である光男に自分の経験を話したのです。
光男は予期していなかった私の告白に本当に驚いていましたが、私も自分と同じような経験をしていた事を知り、少しばかり安堵した様子を見せたのでした。
私は光男を激励したのと同時に長年の間、身内以外の人間には話した事がなかった自分の経験を友人である彼に話した事で、胸のつかえが取れたような気分になったのです。
義母と婿の孝子と私、義父と嫁の光男とユキさん。
パターンの違いこそあれども、お互いに義理の親子の間柄を乗り越えて、男と女の関係になっているという共通の境遇の私と光男。
同じ境遇の似た者同士という事で、私と光男は強い同族意識、親近感を抱き合ったのでした。
光男とユキさんが引っ越して二人で新たな人生を歩み始めた翌年、12年前の春にユキさんは光男の子ども、男児を出産したのです。
私と孝子や拓真の祖父と母と違って、光男とユキさんの場合、複雑な関係にある子どもたちの問題が。
光男の亡くなった息子さんとユキさんの間に生まれた男の子と光男とユキさんの間に生まれた男の子は兄弟でもあり、年上の甥と年下の叔父でもあるわけなのですから。
現在、上の男の子(光男の孫)は14歳、下の男の子(光男の子ども)は12歳ですが、二人ともまだ自分たちの出生の事、複雑な関係の事は知らず、上の男の子は光男を自分の祖父ではなくて、実の父親だと思っているのです。
かつて瑞穂や拓真が経験したように、彼ら二人、光男の孫と息子にも近い将来、真実を知る時が。
私たちの家族や拓真の家族よりもっと複雑な事情が存在している光男の家族の事を思うと、大なり小なり心配な気持ちになりますが、私と孝子と瑞穂も拓真と彼の母と祖父も乗り越えたのですから、光男とユキさんと子どもたちにも必ず乗り越えてほしいと切に願っているのです。
28年間も事実上の夫婦として暮らしている私と孝子の性生活ですが、お互いにもう若くないので、昔に比べると、さすがにセックスの回数は減っています。
それでも、回数こそ減りましたが、強く堅い愛の絆で結ばれている私と孝子は59歳と73歳になった今でも週に1回は体を交え、28年前に初めて結ばれた頃のように濃厚なセックスで激しく愛し合っているのです。
拓真の祖父と母、明彦さんと幸子さんは現在76歳と58歳ですが、私と孝子と同様、今でも週に1回はセックスしていて、本能の趣くままに獣のように激しく愛し合い、お互いに情欲の限りを貪って存分に性欲を満たし、充実した性生活を送っているのだそうです。
明彦さんと幸子さんは事実上の夫婦になってから30年になりますが、昔は私と孝子のようにほとんど毎日、体を交えていた事があって、膣内射精(なかだし)でのセックスが多かったので、幸子さんが明彦さんの子どもを妊娠してもおかしくなかったとか。
光男とユキさんのように二人の間に子どもは生じませんでしたが、幸子さんは明彦さんの子どもを妊娠しても構わないと思っていて、明彦さんも幸子さんと同じ気持ちでいたのだそうです。
私と孝子と同様、明彦さんと幸子さんも今はもうお互いに若くないので、回数こそ減っていますが、男女の営みの時には昔と変わらないエネルギッシュでヴァイタリティに溢れたセックスをしているとか。
幸子さんが言っていたのには明彦さんのペニスは今でも大きさ、太さ、長さ、勃起した時の硬さ、持続力の何れもが昔と変わらず、とても76歳の男性のそれとは思えないほどの逞しさを持っている雄々しいモノで、ペニスで突かれまくっている時、膣が壊れてしまいそうな気がすると。
一方、明彦さんも幸子さんのヴァギナの締め付けは昔と同様の物凄いキツさで、セックスの時にはいつもペニスにとてつもないほどの強烈な覚えてしまうと言っていました。
現在59歳と36歳の光男とユキさんの性生活ですが、二人の間に息子さんが生まれてからの6年間、光男が47~53歳でユキさんが24~30歳の時にはセックス三昧の日々で、二人は年に450~500回位も体を交えたというただただ驚愕するばかりの情欲ぶりで、まさしく性獣カップルと呼ばざるを得ないほどの淫乱な男女だったようです。
その当時、ユキさんはまだ20代の若さでしたが、光男は40代後半から50代前半の年齢だったのですから、私は彼に自分たち二人の性生活の事を聞かされた時、よく若い男性も顔負けなほどに異常なまでに数多くセックスできたものだと思い、光男の体力と並外れた性欲の旺盛さには本当に驚かされて、俄には信じられないくらいでした。
また、ユキさんもその頃はまだ若かったとは言え、光男と同様、頗る性欲が旺盛で情欲の塊のような女性だったという事を知ったのです。
そんな性獣男女(カップル)の光男とユキさんも6年前、ユキさんが三十路に入ってからはお互いにそれまでの尋常ではなかった旺盛な性欲が徐々に減退して行き、その後は今日までセックスの回数は平日(月曜~木曜)は週に1回、週末の金曜と土曜に各3回ずつと、1週間で計7回位のペースになっているとか。
昔に比べると、回数が激減したとは言え、しかし、若いカップル、普通の夫婦や恋人同士でも、光男とユキさんのように週に7回位も体を交える男女はそうそういるものではなく、それも、59歳の男性と36歳の女性なのですから、やはり二人は並外れた性欲の持ち主で、お互いにセックスが大好きな性獣としか言いようがありません。
以前、ユキさんは自分たち二人の性生活について話してくれたのですが、光男はとても自分(ユキさん)より23歳も年上の還暦が近い男性だという事が信じられないくらいに物凄く性欲が旺盛で、セックスの時にはいつもユキさんの方がたじたじで、とてつもないほどの強大な快感に襲われて光男より先にイキそうになり、快感に必死で堪え続けて女として乱れに乱れまくり、最後は二人で最高のオーガズムを覚えながら、同時にイッてしまうパターンが多いそうです。
無論、光男とユキさんはただ単に肉体的な快感を欲して、情欲を貪るだけが目的のセックスフレンドの類ではなく、精神的に堅い愛の絆で強く結ばれているので、性獣と化す事が出来るのですが、それにしても、驚異的な性生活だと思います。
そう言うこの私も昔は孝子とほとんど毎日、体を交えて、年に350~400回位はセックスしていた事があり、また、明彦さんと幸子さんも昔は私と孝子と同じくらいの回数をこなしていたのだそうですから、光男とユキさんと似たようなもので、私と孝子も明彦さんと幸子さんも性獣男女(カップル)と言うべきなのかもしれませんが。
孝子は73歳とは思えないほどに若々しくて、同年代の女性に比べ肌に艶があって皺も少なく、見た目だけではなくて、肉体的にも健康で体力があり性欲も旺盛な方です。
現在の居住地に移ってから23年になりますが、私と孝子はこちらでこれまでに私たち二人の本当の間柄を知らない第三者からはいつも夫婦として見られて来て、年上の妻と年下の夫として見られても、年の離れた姉と弟として、ましてや義理の親子、義母と婿として見られた事は一度もありませんでした。
孝子が年齢より若く見えるせいもあるのでしょうが、第三者の目に私たち二人の姿は夫婦としてしか映らないのかもしれません。
昨年春のコロナによる自粛期間の時には通常よりもセックスの回数が増えて、私と孝子は毎日、体を交えていて、しかも、1回では終わらず、1日に2、3回、セックスする事が多かったのです。
その時期、私たち二人の性生活はセックスを求めるのはほとんど孝子の方で、大抵は私が受身になり、孝子が主導権を握って私を積極的にリードしての交わりなのでした。
私より14歳も年上で、戸籍上においては“一応”は義母である孝子は年下の“一応”は婿の私に対してまったくなんの遠慮もなく、自分のペースでセックスして、命令口調で私に性運動を要求して来る事もあり、私は要求に従うしかなくて、孝子の意のままにセックスしていたのです。
特に孝子が主導権を握った体位、騎乗位で交わった時の妻はとても70代の女性のそれとは思えないほどの物凄い乱れようで、まさに淫乱女そのものと言うべきで、AVに出演している熟女も顔負けなくらいなのでした。
乳房は年齢のせいで乳首こそ少しばかり黒ずんでいますが、73歳の女性にしては張りと弾力性がある方で、痩せ形の体は70代とは思えないほどに柔軟性に富んでいて、そして、ヴァギナの締め付けは若い女性のそれに勝るとも劣らないくらいの物凄いキツさなのです。
私の体に跨がって、上半身を前方に後方にと思いのままに傾け、ヴァギナでペニスを強烈に締め付けながら、腰をクネクネと自由自在に動かして、全裸の肉体を躍動させ続ける孝子の姿はとても70代の女性のそれとは思えず、私は物凄く興奮して全身に強大な快感を覚え、孝子より先にイッてしまいそうなのを必死で堪えたのでした。
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