先週、養父は入院した。
入院の前々日に、最後のセックスをした。
「今日は、お父さんの好きにして良いよ」
と言ったら、養父は私の手首を縛り、乱暴に扱ってきた。
(これで最後)
と思って、養父に身を委ねながら、頭の中でこれまでの事を考えていた。
2回目の射精が済んだのは、夕方だった。
「お嬢、ありがとうござんした」
と、養父は私を昔の呼び名で呼んでいた。
養父と出会ったのは、私がまだ幼い頃で、彼は父の舎弟分で、一番若かった。
母の妹と「恋仲」なのは気づいていたし、父が足を洗った後も、私を「お嬢」と呼んで、命がけで面倒をみてくれていた。
「私の方こそ、ありがとう」
と言って、タンポンでアソコを塞いだ。
「兄貴にも、申し訳ないっす」
と言うので、
「父も、私がアナタの娘になる事を認めたんだから、大丈夫よ」
と声をかけたら、泣きながら、
「すんません。すんません。」
と言ってた。
(精神的にまいっているのかな?)
と思って、養父の背中を撫でながら、
「お父さん、大丈夫だよ(笑)きっと手術も上手く行くし、退院したら、お母さんと3人、うぅん、産まれてくる子供と4人で、仲良く暮らそう」
と言った。
その時、思い出したのは、養父が養母と交際していた頃の事だった。
数年のオツトメを終えて、出所した彼を出迎えに行った時、私達家族が見ている前で、熱い抱擁をしていた二人が、とても輝いて見えた。
二人は、すぐに祝言をあげたけど、当時の私は、それが「結婚式」だったとは知らなかった(笑)
メオト=夫婦と言うのも、知らなかった世間知らずの自分を思い出して、思い出し笑いした。
もう20年も昔の話。
その日のピロートークは、養父の武勇伝を聞く事になった(笑)
断片的に覚えていた当時の生臭い記憶が、少しずつ埋められて行った。
告戒してるのか、罪を懺悔しているのか知らないが、養父は自分の身の上話から、夫婦の話まで、色々と話してくれた。
私は、養父の背中に描かれてる彫り物を眺めながら、昔の世界に浸った。
バブルが崩壊して、地上げが廃れて行く闇社会の話は、まるでお伽噺に聞こえた(笑)
カタギになった養父も、未だに過去のシガラミに縛られている事を知った。
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