ご要望にお答えして続きを書かせて頂きます。
つたない文章で申し訳ありません。
これは真実の物語です。
パート2
目を閉じたまま横たわる彼女の生身の体を前にして、しばらく見惚れていた。
どれだけの時間が経過したのか、冷静さを取り戻した自分がいた。
義父としての立場から、これ以上は進むことが出来なかった。
ためらいがちに、彼女の肩に手をかけ静かに抱き起こすと、振向いて目が合った。
上気した顔で、見上げるその切なげな瞳の奥までは、あえて見ようとしなかった。
いや、本当はわかろうとするのが怖かったのだと思う。
目を逸らすことで、その場を回避しようとしただけだった。
背を向けた私の背中に抱きついて嗚咽する、彼女の声が聞こえた。
背中に、熱った彼女の顔と涙が流れるのを感じた。
背中越しの、涙混じりの声がした。
「義父さん、寂しい・・・寂しい・・・助けて義父さん・・・」
その声を聞いたとき、毎日辛い思いをしているのを知っていながら、なにもしてやれない不甲斐ない自分を恥じた。
空しさと愛おしさがこみあげてきて、感情のブレーキが完全に利かなくなってしまった。
暗黙の寂しさの中で、2人は抱き合い、お互いを求めた。
お互いが、お互いの境遇を哀しむかのような静かな行為だった。
彼女の感情を抑えた慎ましい喘ぎ声を聞きながらの、短い時間の行為だった。
私にとっては、永遠につづくような至福の時を過したように思えた。
お互いの立場から、冷静になって話し合った結果、同じ過ちは繰り返さないと誓った。
家では出来るだけ顔を合わせないように自室に引き篭もり、用もないのに外出することが多くなった。
彼女は、近くの小さなスーパに午前中だけ働きに出るようになった。
一緒に畑に出かけることもなくなった。
一度交わった私には、それから悶々とする日々が続いた。
男の機能が、思っていた以上に働いたことへの満足感から自信をもったこと。
そのはけ口を求める相手が、いないことへのあせり。
くすぶっていた性欲が、こんなにも燃え盛るようになるとは自分が一番驚いていた。
夫婦の夜の生活はなくなってすでに5年以上は経っていた。
仕事が忙しい時期に、妻から求められ、男として果せなかったことが何度かあった。
妻は、私の男性機能が年齢的にもうだめだと思い込んでいるようだ。
いまさら妻を抱く気にもならなかった。
悶々とするなか、あの時のことを思いうかべながら、自ら慰めることもあった。
思った以上に男性機能が元気であることに、驚きと同時に喜びを感じた。
自分で慰める回数が多くなるにつれ、持続力と硬さがかなり回復した。
あれから数ヶ月が経った11月の紅葉真っ盛りの日のことだった。
山間の畑の、大根やキャベツの収穫時期に入っていた。
その日は、パート勤めの彼女も休みだった。
彼女に紅葉を見せたいこともあったので、畑の手伝いを頼んだ。
久しぶりのお誘いに、おおいに喜んで朝から2人分の弁当をつくってくれた。
畑に着くと、山間部の周辺の山々の紅葉に驚きの声をあげて喜んでくれた。
笑顔を見ていると、まるでタイムスリップしたように、自分の年齢を忘れてしまう。
同じ年齢に戻ったような錯覚に陥ることがある。
野菜の収穫も終わった頃には、ちょうど昼食の時間になった。
小さな物置小屋で、彼女の作ってくれた弁当に、舌鼓を打ちながら食べ終えた。
あのとき以来、面と向かって話すことがなかった二人は、あまり言葉を交わすことがなかった。
下を向いたままで、小さな声で、ぽつりとつぶやいた。
[義父さん、あのときからあまり声をかけてくれませんね。どうしたんですか?
義父さんだけが、私の味方だと思っていたんですよ。寂しいです・・・・」
彼女に対する思いを押さえきれない自分が、情けなかった。
言葉がでなかった。
「義父さん・・・私・・あのときのこと一度も後悔なんかしてませんよ。あの時は・・・
本当に嬉しかった。義父さんが大好きだったから・・・今も大好きですよ・・・義父さんが良ければ・・・私はいいんですよ・・・いつでも・・・」
私は震える手で、冷静を装いながら、肩を抱いて胸元まで引き寄せた。
2人は同時に唇を求めた。
弁当のおかずの味がした。
あのときからの空白の時間を取り戻すかのように、激しい接吻だった。
あのときから、なにが変わったのだろうか?自問自答した。
男としての自信を取り戻した自分は、さらに性に対する賓欲な欲望が増しただけだろう。
彼女を思って自ら慰めたことが、更に、彼女に対する思慕の念が増すばかりだった。
たまりに溜まったエネルギーが爆発するときがきた。
ズボンのホックに手をかけると、嫁は心得たようにその手を静止して、自らすべてを脱いでいった。
横たわる嫁の下半身のあの部分を、手の指で確認すると、すでに受け入れるに充分な状態になっていた。
2人は下半身だけが裸の状態だった。
なぜか、卑猥な格好に滑稽さを感じた。
耳元で許しの言葉を告げると、恥ずかしげに静かにうなずいた。
赤く染まったその顔と潤んだ瞳に、なおさら欲情をそそられた。
恥ずかしげに開いた、嫁の中心部に静かに腰を落としていった。
結ばれたことを耳元でささやくと、大きく頷いて恥ずかしいといいながら、両手で力いっぱい抱きしめてきた。
組み伏したまま、意識的に動くことをためらった。
彼女の反応を窺うことと、なかの感触をしっかり味わうために体を密着させた。
しばらくすると、あえぎ声と同時に嫁の体に変化が起きてきた。
むずかゆい感触と共に、彼女のうごめきが徐々に大きくなってきた。
私はその動きに合わせるように、緩やかな律動を始めた。
私の動きを加速させるかのように、両脚を絡め自分から腰の動きを早めていった
。
はじめて交わったときの行為から、かなりの反応の違いに戸惑いながらも感じた。
あの時は、静かに始まり静かに終わった。
短い時間ではあったが、それなりの満足感は充分あった。
大きな喘ぎ声は、やがて私を求める声に変わっていった。
「義父さん・・・気持ちいい・・・気持ちいい・・・体が変です・・・何か変です
気持ちいい・・・もっと欲しい・・・義父さんがもっと欲しい・・・すごいお父さん・・お父さんすごい・・・気持ちいい・・・」
自分の持続力にも驚いていた。
男として喜ばせたいと思う気持ちが、私の体力以上の力を引きだしていた。
彼女の反応をうかがいながら、更に動きを加速していった。
「義父さん・・・気持ちいい・・・体が変です・・・体が変・・・こんなの初めて・・・いいく・・・」
叫び声に近い声を出しながら体を麻痺させた。
彼女のなかで私の物は何度も何度も締め付けては緩められ締め付けては緩められて、施されながらすべての精を解放された。
抱かれたままの彼女の意識は、完全に遠のいていた。
体だけが、無意識のうちに貪欲に、麻痺を繰り返していた。
意識が戻ったとき、既に時計は四時をまわっていた。
急いで帰り支度をしながら、どうしても気になって、中に放ったことを話した。
「大丈夫です。義父がよければいいんですよ。これからは我慢しないでくださいね」
その言葉に驚いた。これ以上の喜びはなかった。
その後は、何かにときはなされたように、仕事から帰ってきた午後に私の部屋で交わることもあった。
日帰りの温泉旅行で貸切風呂で交わったこともあった。
彼女の休みのときは、車で遠出しながら、途中のラブホテルで一日過すこともあった。
回を重ねるたびに、喜びを表す言葉にも体の変化にも妖艶さを増していった。
彼女自らが申告する安全日以外は、必ず避妊することを忘れなかった。
時々寝物語に語る嫁の言葉に驚かされることもあった。
「許されるなら、義父と一緒になりたい。義父の赤ちゃんが欲しい。義父さんいつまでも元気で長生きしてくださいね。」
残り少ない我が人生に、これほど生きる希望を与えてくれた言葉はなかった。
そして二年後、彼女は懐妊した。
私の心を知ってか、お父さんの子供ではありませんといった。
主人の子供だと言い切った。
彼女の気持ちを思うと、それ以上のことは言えなかった。
大きくなる嫁のお腹を見ながら、ただただ無事に生まれることを願うだけだった。
そして、あの日突然に、子供を残してあの世にいってしまった。
余談ではありますが、
その後、息子も後妻をもらい、子供2人に恵まれ夫婦円満の生活を営んでいる。
孫娘も今は8歳になる。
あれからしばらくして、遺品緒整理をしていたとき、偶然に本棚の奥くから小さなノートが出てきた。
日付から彼女が、あの当時書いていた日記だった。
そのノートには、苦しかったあの頃の思いが面々とつづられていた。
ところどころに丸いシミが目に付いた。
おそらく涙の跡だと思われた。
そこには私と妻の生年月日や星座、血液型、性格などが書かれていた。
占いの雑誌の切れ端も挟まれていた。
いかにしても妻を理解しようとする、嫁の姿が目に浮かぶようだった。
そこには、決して妻や私たちへの悪口や恨みなど一言もかかれていなかった。
むしろ自分の至らなさが、書き記されていた。
なんと立派な嫁だったのだろう。容姿だけでなく心までこんなに美しい女性がいたなんて信じられない気持ちだった。
我が家の宝物だったのに、なぜ気づかなかったのだろう。
どうしてもっと大事にしてやれなかったのだろうか?
悔やんでも悔やみきれなかった。
涙が止まらなかった。
そして自分の罪深い行いに、8年経っても懺悔しきれない自分がいた。
我が命尽きるときまで、彼女を思い供養をしていくつもりだ。
早くあの世で彼女に会いたい。
そして懺悔したい。
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