待ちに待った月曜日、たかしは午前中で仕事を終え、お昼を食べる時間も惜しいので昼食抜きで、美恵の待つ鶯谷へ向かいました。
あーもうすぐ美恵さんに会える!今日はオナニーではなく、生身の美恵さんを抱けるんだ。そう思うと電車の中にもかかわらずチンポが固くなるのを感じました。
まるでやりたい盛りの高校生の頃みたいだな。先日美恵からのラインで今日会えることが決まった時、職場のトイレで固くなったチンポを鎮めるために、昔職場のトイレで何度もオナペにした斎藤純子を思い浮かべ、激しくオナニーしましたが、今は電車の中なのでここでチンポを取り出すわけにはいきません。
もちろんあと一時間もしないうちに大好きな義姉を抱いて、あの素晴らしいおまんこにたっぷり射精できるから、乗り換え駅のトイレでオナニーするなんてもったいないし。
でも、この固くなったチンポをどうしよう。急行電車なので、平日の昼間のわりには車内は混雑しています。
あー、どうせならもっとぎゅうぎゅうに混雑してればあの頃のように、痴漢して大好きな女の尻を触ったり、チンポを押し付けたりできるのに・・
たかしは先日斎藤純子を思い出したように、高校生の通学時、朝のラッシュを利用して幾度となく女の尻や胸を触った痴漢のことを思い出していました。
あの頃の俺って、完全な痴漢、変態、女の敵だったよなあ。
たかしは思い出し笑いをこらえながら、あの女たちの柔かい尻の感触を思い出し、余計にチンポを固くさせました。
ホントに車内は混雑していて、痴漢行為をしなくてもすぐそばに女の尻や胸がたくさんありました。カバンを持っていれば手の甲が女の尻に触れるなんて日常茶飯事、興奮して固く鋼のようになったチンポが柔らかい女の尻に当たるのも何度も経験しました。
もちろん今のように女性専用車両なんてないし、今の糞女どものように、ちょっと尻に触れただけでものすごい目でにらんだり、挙げ句には大声あげたりするようなそんな女はまだあまりいない時代でした。
なのである程度まではほとんど触り放題で、最初は手の甲を押し付けたり、チンポを押し付けたりする程度の痴漢でしたが、だんだん大胆になって、手の平でお尻を触ったり、その指先を尻肉に食い込ませたり、大胆に何度も撫で回したりしました。
経験を積めば、最初に触れた時の反応で騒がれそうな女かどうかも判断できるようになったし。だんだん大胆になってきて、スカートをめくってじかに太ももに触れたりもしました。さすがにじかにパンティまでたどりついたりはしませんでしたが、スカートやパンツの上からならパンテイラインをなぞったり、かなり際どいマンコの近くまで指を進めたこともあります。
一度は横に立っている女の豊満な胸がたまらなくて、たいして混雑もしていないのに、横から手を伸ばしてその胸に指で触れたことがありました。
隣の女は突然の出来事に驚きすぎて声があげられなかったのか、でも驚いたあとは本当に軽蔑の眼差しだ睨みつけられました。
元々胸より尻フェチの私なので胸に手を出したのはその一回だけでした。
高校、大学の7年間数えきれないくらい痴漢を続けましたが、危なかったのは二度、一度は何おしつけてんのよ!と声をあげられたのと、もう一度は当時はまだどこのデパートにも存在していたエレベーターガールの尻を、降り際に撫で回した時、暗号みたいな言葉で隣のエレベーターガールに告げ口されたこと。
私はエレベーターガールも大好きで、何度も何度もエレベーターに乗り降りし、エレベーターガールの尻を触りまくっていたので、きっとあのデパートでは私の痴漢の噂は評判になっていたと思います。
色んな悪いことしたなあと思い出しているうちに、電車は山手線の乗り換え駅に着きました。あとは鶯谷まで20分ちょっと、30分後くらいには義姉の柔らかい体に触れられる、そう思うと一旦少し静まったチンポに再び血が漲るのを感じました
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