>>続き
話しを戻して、父が他界してからのことを詳しく書く。
父が亡くなった直後の半年ほどは相続や引っ越しでバタバタしたが、不謹慎な話だが、その間も母との関係は休むことなかった。
むしろ人間の死に直面したせいだろうか、普段よりも激しいほどだった。
通夜の晩こそ色々な人が来たし父の田舎の風習で一晩中起きて棺に入れる鶴を折ったり、父の田舎から来た親類の相手をしながら斎場で過ごしたが、告別式の夜は親類も皆帰って誰もいなくなったので、家に戻ったあとに翌日の朝方まで激しく求め合った。
相続のことで会社から休みや半休をもらい母と二人で銀行や役所に何度も行ったが、そ子での用事を済ますと、昼間からホテルや自宅でお互いの体を貪り合ったりもした。
どちらかがと言うことではなく、お互いにお互いが欲しくなるからどうしても激しくなったのだろう。
よほど疲れているとか体調が悪かったりとか飲み過ぎたりしていない限りは、帰宅して食事と風呂を済ませると、見たいテレビでもない限りは10時には二人でベッドに入り飽きることなく未明まで愛し合う毎日だった。
特に今のところに引っ越してきてからは家具をそろえる時に大きなWベッドを買ったので、最初から広々としたベッドの上で愛し合った。
母は44だったが子供を産んでいなかったことと、恐らく私を悦ばせるために努力をしていたのだろう、年齢による体の緩みは若干あったものの、体の線はきれいなままだった。
そんな母の心も体も独り占めし、毎晩のように隅々まで愛することのできる自分をとても幸せな男だと思っていた。
前の方にも書いたが、母も私も子供が欲しかった。
父の生前は母が妊娠してしまうことを恐れ、二人とも避妊にはそうとう神経を使っていたが、父が亡くなり新しい土地に引っ越してきたこともあり、子供を作ろということになった。
母は長年続けていたピルの服用を止め、不妊相談に行ったりもするようになった。
私も精液が濃くなると言われているようなものを食べたり、アルコールを控えたりしながら、母との子作りに励んだ。
しかしそんな二人の努力もむなしく、母は子供を授かることなくもう少しで51才になるという頃に閉経した。
とはいっても子供だけが希望ではなかったので、母の閉経後も私の母に対する気持ちは変わらなかった。
閉経したことで「もう子供ができることはない」と言ってがっかりする母を慰めながら、それまで以上に母の体を愛し、母もまた十分に応えてくれた。
ところが私が33才になると、母が私に「早く若い女性と家庭を持って子供を作れ」というようになった。
私は母と二人きりの生活を送っていきたいと言ったが、母は「私が誠の子供を産めない以上、誠に家庭を持たせるのが私の責任」と言って聞かなかった。
それでも私が言うことを聞かないでいると、母は私の求めを拒むようになり別の部屋で寝るようになった。
家の中での会話も減り、まるで家庭内離婚のような状態が半年ほど続いた。
私は30を過ぎたというのに、たまった性欲を発散するのに人生で初めてソープランドに行ってみたりしたが、やることなすこと全てむなしく感じていた時だった。
2~3日実家に帰ってくると出かけた母が、土曜日の午後に母が若い女性を連れて帰宅した。
私はその女性の顔を見て、一瞬呼吸が止まりそうにった。
なぜなら、私が子供の頃の母にそっくりだったからだ。
この女性が今の妻だ。
母から「誠はこの子と中学校に入ったばかりの頃に会ったことがあるのよ」と言われた。
私が思いだせないでいると、私にとっては従妹にあたる女性だと言われた。
そう言われてみれば、母方の法事かなにかの席で小さな女の子を「従妹」と紹介されたことがあったのを思い出した。
母の姉の娘で、私とは血の繋がりはないが従妹にあたる女性でこの時28才だった。
3人でお茶を飲みながら世間話をしていたが、小一時間も話をして頃だったろうか、母は唐突に私にその女性と一緒になるように言った。
その日の夜彼女はうちに一晩泊まり、日曜日の午後に田舎に帰っていった。
彼女を駅まで送って行ったあと、久しぶりに母と親子らしい会話を交わした。
どうやら母は子供を諦めた直後から、母の姉とで私と従妹の結婚についていろいろと話をしていたらしい。
「誠が気に入ってくれる女性は、あの子しかいないと思った」と母は言ったが、いきなり結婚しなさいと言われても「はい」と言えないので、先ずは付き合ってみると母に告げた。
母も了解し、早速田舎に電話していたようだった。
付き合うといっても離ればなれだったので、会社の帰りに待ち合わせをして会うということはできず、月に2度ほど泊りがけで行ったり来たりしながら会っていた。
付き合い始めて半年ほどたった頃だった。
その前に彼女の田舎で会った時に彼女と初めてキスを交わし結婚の約束をしたが、それを聞いた母が気を利かせたのだろう、ディズ〇ーランドのそばのホテルをペアで取ってくれて、二人で遊んで来いと言った。
その夜二人は結ばれた。
彼女は顔ばかりでなく、体つきも母そっくりだった。
そればかりではない、私に抱かれている時の反応、仕草までもそっくりだった。
更に下世話なことまで付け加えるならば、体から発する匂い、秘所の形や濡れ方、蜜の味までなにもかもが、まるで母を抱いているのではと錯覚するほど似ていた。
そのせいか、この日の夜は彼女の体を何度も求め、母との関係が途絶えたために溜まっていたものをすべて吐き出した。
それから2か月後、彼女は仕事を辞めて私の家に来た。
式はまだ先だったが籍だけ入れて同居することに決めると、母は彼女と入れ替わるように田舎に帰ると言いだした。
田舎には夫に先立たれた母の姉(彼女の母)が一人で生活しているので、そこに帰るという。
もちろん引き留めたが、母は「一つ屋根の下に肌を重ね合った女が二人もいてはいけない」と言って聞かなかった。
彼女が家に移ってくる前の夜、約一年ぶりに母を抱いた。
二人が体の関係結んでから17年間の思いをぶつけあうように、お互い激しく求め合った。
この夜の母は関係を持ってからいちばん激しかったのではないかと思うくらい、私のすべてを欲しがるように長い時間をかけて何度も求めてきた。
私もこの夜が最後と思うと、母の体を貪欲に求めた。
お互いの体を貪り合う音や濡れた秘所がこすれ合う音、そして母の喘ぎ声と二人の荒い息が明け方までベッドの軋む音ともに寝室に響いていた。
少しだけ眠ると、すぐに夜が明けて表が明るくなった。
母はいつも通りの時間にベッドから出ると、私のことを慌ただしく起こしてベッドパッドや敷布を剥がしてゴミ袋に突っ込んだ。
掛け布団も粗大ごみに出すと言って畳んで袋に入れて部屋から出した。
そのあとに真新しいパッドと敷布を敷き詰めて新しい掛布団を運んでくると、「今夜からは若い二人で寝なさい」と言った。
私がもったいないというと、母は「新婚夫婦の寝室なんだから、私の匂いの付いたものは絶対に使ってはいけない」と言った。
>>続く
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