こんばんは。今日は、亡き叔母との思い出を聞いて頂きたくて投稿します。あまり萌えた内容は有りませんが、
宜しければ聞いて下さい。前に書いた内容と関連する事も書きますが、御了承下さい。私の最愛の人との思い出話です。
私は、高校を卒業して、三交代勤務体制の会社に就職しました。特殊な勤務体制なので、土、日休みが少なく平日が公休になる
事が多いのです。その為、パートで働いていた叔母との密会も、休みを合わせて平日のラブホテルで会う事も多かったですね。
私が叔母の体を求める事が多く、そのせいで、ホテルで会う事になるのですが、セックス無しの時も当然あって、その時は、
叔母の車で、隣県など、知り合いに会わない様に気を付けてドライブや、海辺に行ったり、森林浴などを楽しんだりしていました。
毎週、土曜日の昼前には、叔父が仕事から帰って来て、日曜日の夕方まで家に居るので、土、日は絶対に私たちは会えませんでした。
私も、三交代勤務なので、平日の公休が有っても、叔母との時間調整が合わなくて、会えない日もありました。私は仕事の時以外は、
毎日、叔母の事を思い生活していたので、2週間も会えないと恋しくて仕方がありませんでした。長く会えなくて、久々に会った時は必ずホテルにいきました。
ここで、セックスに関する事を書きますが、私は、セックスを知って、単にセックスに夢中になった訳ではなく、叔母だけを抱きたいと思う感情を持っていました。他の女性には全く関心など有りませんでした。
叔母を愛していたので、私が快感を覚えるより、叔母を感じさせたいと思い、いつも愛撫には時間を掛けていました。関係を重ねるうちに、分かった事は、叔母の性感帯は、ほぼ全身で、乳首とクリトリスは特別に敏感でした。
女性は誰もが、その部分が敏感なのかも知れませんが、私は叔母しか知らないので、叔母の反応が大きくなれば、執拗に指や舌で愛撫をしました。叔母の体は汚い箇所など無いと思っていましたので、お尻の穴も、足の指なども細かく舐めました。
最初の頃は、その様な行動をする私に驚いて抵抗していましたが、私が、「愛しているから僕の好きな様にさせて」と、何度も言ううちに受け入れてくれる様になりました。クンニを執拗に続けると、すごく悩ましい声を出して、必ず、「もうダメ、もうダメ、
もう来て、来て、お願い!」と、挿入を促してきます。私は、その様な時がとても愛おしく思い、わざと無視をしてクンニを続けて焦らします。叔母の「お願い、お願い……」の連呼が激しくなると、ようやく挿入します。その方が、叔母の中に入っていく時に、叔母の声が
「あっ、ああ、んんんんんっっ!」と、より大きくなり、わたしの背中にしがみ付いて来るのです。自分で言うのも変ですが、私も、初体験の時と比べれば、セックスも上達していたと思います。挿入してからも、叔母の中の感触も味わい、ピストンの速さや強弱もコントロールできる様になりました。
体位も、正常位だけではなく、バックや騎乗位などもこなせる様になっていました。ホテルでセックスをする時は、その日は必ず3回射精します。叔母も、フェラなどで、私に快感を与えてくれますが、私はそれ以上に叔母の体を堪能して、叔母に絶頂感を与えたいと常に思っていました。
セックスの後は、いつも満足感で一杯になるのですが、その反面、私の悪い癖で、「今度叔父さんが帰って来た時もするんだよね」っと、叔母に嫌味を言う事も度々有りました。「もう叔父さんとセックスしないでよ」など、無茶苦茶な事を言った事もあります。叔母が叔父に抱かれる事が耐えられなくて、
叔母を独占したい気持ちが優先していました。あの頃の私は、叔母の気持ちを考えてあげる余裕など持ち合わせていませんでした。そんなふうに、私が無茶を言うと、必ず叔母は無言で私を強く抱きしめてくれました。そんな、わがままな事ばかり言っていたある日、叔母が今の自分の心境を話してくれた事がありました。
叔父に対しての事、私に対しての事、それぞれについてです。まず、叔父についてですが、叔父は私の母と二人姉弟で、子供の頃は家庭があまり裕福では無くて、姉である私の母は、何とか高校を卒業したのですが、弟の叔父は中学を卒業後、すぐに就職したそうです。しかし、何の資格も持たない叔父は、車の免許を取得するまで、
土建業で見習い作業員の様な仕事をしていたそうです。普通自動車の免許を取得して、数年後に大型自動車と、牽引免許を取得して、現在のトレーラーの長距離運転手に至っているそうです。以前に、二人の馴れ初めで聞いた事が有ったのですが、叔母の故郷は、現在住んでる地域から約、700km離れている遠い所で、叔母が短大を卒業後、
務めていた会社に、月2度位のペースで叔父が荷物を運んで来ていたそうです。事務員として働いていた叔母は、黙々と働く叔父の仕事に対する姿勢に好感を抱き、叔母の方から結婚を前提に交際をして欲しいと頼んだそうです。今でも口数が少ない叔父ですが、自分は長男なので、親を養う義務が有ると考えている。しかも、ここより遥か
遠い場所で、長男の嫁になる覚悟が有るなら断る理由は無いと言ったそうです。叔父に惚れ込んでいた叔母は、即答で了承して、その1年後の22歳の時に今の家に嫁いで来たそうです。叔父は現在の家を20歳の時に建て、40歳でローンを完済する予定だったので、結婚しても1週間に1度しか家に帰らなかったけど、叔母に対する愛情は、
叔母は感じていたそうです。そして、叔父は高額な生命保険に加入して、「俺は仕事柄、交通事故に遭遇する確率が高い。飯も殆どが外食なので健康管理も徹底できない。もしも俺に何かが起きた場合は、その保険金と貯めて有る金を持って故郷へ帰れよ。この家で親父やお袋の面倒を看る必要は無いよ。その代り、悪いが、この家だけは親父たちに
残してやりたいんだ。住む家さえ有れば、なんとか生活出来るだろうから」いつも自分の事より家族を思う叔父の気持ちに、「たとえ何が起きても、旦那の両親は最後まで自分が面倒を看る」叔母は心に固く決意したそうです。幸い、祖父母も元気なので、今のうちはパート勤めをしていると言っていました。そんな叔父を本当に尊敬しているとも言っていました。
そこまで聞いて、とても叔父には太刀打ち出来ないと思い、同時に叔母を独占したいだけで、わがままを言う自分の器の小ささを痛感しました。更に叔母が話を続けます。「私は、そんな優しい旦那の事がとても好きだった。毎日会えなくても、1週間に1日だけでも、それでいいと思ってた。優しさだけで…」そう言うと叔母の声が少し詰まってきました。
「ねぇ、ヒロちゃん…私って、本当にズルくて悪い女。自分を騙してる。本当はいつも寂しかったの…。私は弱い女。優しさだけでは耐えられない時もあったよ。好きな人には、愛する人には、いつも傍に居て欲しいと思ってしまう。私が今、そんなふうに思う人、ヒロちゃん、それはあなたよ」叔母はそう言うと私の胸に顔を埋めてきました。「私は本当に悪い女。
一回りも年下の男の子、しかも甥っ子と関係を続けて、気持ちまで委ねている。どうしてだろう。いつからだろう。分からないけど、本当にあなたを愛してる。ヒロちゃんが私を思ってくれる気持ちは凄く嬉しい。ただ分かって欲しい事は一つだけ。今、私がしている事は旦那に対する裏切り行為ね。週末になって、旦那が私を求めて来ても私は拒まない。ヒロちゃんに分かって
欲しいのは、気持ちはいつも、あなただけよ。これが精一杯の答えなの。これ以上は勘弁して…許して…」そこまで聞いて、私は返す言葉を探す事が出来ませんでした。何も罪の無い夫を裏切っている妻の心情。無責任に自分の事しか考えていなかった私。こんな事になったのは、叔父のせいでも、叔母のせいでも無く、私のせいなのだと初めて痛感しました。だけど私は叔母と
別れたくない。失いたくない。叔母も私を必要としてくれている。都合の良い解釈で私はこの関係を続ける決心をしました。叔母は、私が夜勤の時は必ず、弁当を持たせてくれ、その際には短い手紙も添えてくれました。私は本当に幸せでした。叔母の教訓に、「人を傷つける事は簡単で、それに気づく事は難しい。許してくれるのはその人だけ。自分が傷付く事は恐れるが、それを許せるのも自分だけ。」
私はその言葉の意味を理解して、人を思いやる気持ちを養う事に日々努力しています。とても難しいです。社会に出て特に思います。この事も、ほんの一部ですが、叔母には本当に沢山の事を教わりました。しかし、私が一番辛かったのは、叔母の余命が短いと知ってからです。病室で叔母と二人きりになると、叔母の手を擦り、「サキちゃん、元気になったら、またあのイチョウ並木を歩こうよ」「サキちゃんが
疲れたら、僕がいつまでも おぶって歩くよ」「そうね。ヒロちゃんが重いって言うくらい、体重を戻すね。覚悟しててよ」言葉とは裏腹に、叔母の体はやつれていくばかりでした。延命の為なのか、抗がん剤の投与は行われ、副作用の為に満足に食事も取れません。感の鋭い叔母は、すでに自分の病名も余命が短い事も知っていたのでしょう。この頃に、叔父や私への手紙を書いたのだと思います。叔母の前では、
私は至って明るく振舞っていたのですが、一度、危うい時が有りました。それは夕刻の、空がまだ薄明るい黄昏時に、夕焼けを見つめて言った叔母の言葉ですが、「私、あと2か月少しで誕生日がきて34歳になるんだよ。どんな誕生日を迎えるのかな。そのすぐ後に、今度はヒロちゃんの誕生日だね。22歳だね。二人の誕生日、この病室でお祝いしたりして」叔母が私の方を見ないで、窓の外の夕焼けをじっと見つめて
独り言の様に話していました。私は、必死で涙をこらえて、病室でも何処でもいいから、叔母の誕生日を迎えて、おめでとうの言葉を掛けたかった。しかし、その願いは届かず、誕生日の2週間前に旅立ちました。前にも書きましたが、危篤に落ちる前に、私に「ヒロちゃん、逢えて良かった……」涙を溜めて言った叔母の声が私の心を今でも締め付けるのです。とても切ない、とても悲しい。もう誰も愛せない、愛したくもない。
私にとって、掛け替えの無い本当に大切な人でした。最後に、叔母からの手紙の内容を、また一部ですが紹介します。「ヒロちゃんが私にくれたもの、(純粋な愛情)(心の寂しさを埋めてくれた優しさ)そして、(1日でも長く生かせてくれた事)私がもっとヒロちゃんにしてあげたかった事、(あなたの為の料理)(あなたの作業服の洗濯)そして、あなたが安心できる(私でいたかった)ヒロちゃん、ごめんなさい。そして、ありがとう。
この後に(街物語)の歌詞を引用して私の将来を案じていました。叔母との約2年半の出来事ですが、とても伝え切れません。話の順序もおかしくて、読んで下さった方には、なかなか理解して頂けないと思いますが、私が真剣に叔母を愛していた事は間違いありませんし、今も忘れる事ができません。あらゆる場所や音楽や言葉などに叔母の姿を思い出します。私が叔母に語り掛ける言葉は、「サキちゃん、今度生まれてきても、必ず僕の前に
現れて下さい。そして、その時は最後まで二人で生きていこうね」
まとまりの無い形で申し訳ありませんが、何から話そうか、どこから話そうかと考えた挙句、この様な形になってしまいました。すみません。
長文にお付き合い下さった方々、ありがとうございました。
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