私も同じ思いでした。
始めは中学生になったころ、母を女性として見てしまう事があり、そのころは母の裸が見たい
胸を触りたい。その程度でしたがやがて叶わない思いの代わりに母の下着を持ち出すようになり身に着けるようになりました。
ある日いつものように母の下着で遊んでいるとフル勃起したちんちんが痙攣をおこし体中を駆け巡る強烈な快感と共が噴き出しました。
それが私の初めての精通でした。以来時々母の下着でオナニーをしていましたが、割とすぐに母にバレて母を泣かせてしまいました。
しばらくは大人しくしていたのですが、性徴期の私は快感が忘れられず時々母の下着を持ち出しバレるということを何度か繰り返していました。
高1の夏休みに母の下着でオナニーをしているところを見られてしまい、咎められている中で母とSEXしたい思ったことをうちあけました。
当然、母は拒絶の反応を示し、かなり長く気まずい期間がありました。
ただ唯一ラッキーだったのは、それ日以来母の下着を持ち出したのがバレても何も言われなくなりました。
きっと話題にあがることが、嫌だったのだと思います。
そうして高校の3年間は、母とSEXすることばかりを妄想して過ごしました。
大学に入って割と早くに彼女ができました。母に紹介したところ、ことのほか喜んでくれて少し複雑な気持ちでした。
一年ほどした頃、母と大学の話などをしているときに、彼女とのことを聞かれ、その中で付き合って以来一度も関係を
持ったことがないというと、「いろいろな付き合い方があるからね」と言いながらも「なぜ?」とも聞かれました。
それで「最初の人は、おかあさんと決めてるから」と胸の内を打ち明けました。
母は、小さな声で「あれからずっとそう思っていたの」とつぶやくように言って、私の頷きには絶句して何も答えてくれませんでした。
また何日か気まずい日が過ぎました。そしてある土曜日の深夜、母が部屋の外から「起きてる?ラーメン作ったので食べる?」と言ってきました。
気まずい日が何日も過ぎていたので、私も打開するきっかけが欲しかったので「食べる」と答え母の作ったラーメンを食べました。
しばらくして母が「食べ終わった?」と聞きながら部屋に入ってきました。
空いた食器を持って行くでなく、何か言いたげだったのでほほ笑みながら「何?」と母は戸惑いながら「電気を消して」と言いました。
意味が分からず聞き返すと、明かりを消してと言うので言われるままに明かりを消しました。
そして母がベッドに行ったのが気配で分かりました。ベッドでゴソゴソしているので何してるのか聞いたのですが答えはありませんでした。
ほんの少し間があって、母が来いと言うのでベッドに行くと、ベッドに入れと言いました。何故か母は私のベッドに寝ているようでした。
言われるまま私がベッドに入ると横に母がいました。そして母はベッドの中で私の手を取ると自分の身体に押し付けました。
私の手は、母の胸のふくらみの上に置かれ、そしてそれは素肌でした。驚いて手を引こうとする私の手を母の手が胸の上に押し戻しました。
それですべてを悟りました。その夜、私と母は結ばれました。
母に気持ちを伝えてから5年目でした。
私は5年かかりました。その間に気まずい日が相当長くありました。
それでも夢が叶っただけマシだと思います。
普通なら気まずくなるだけで夢が叶う事はなかなかないように思います。
一生気まずくぐらいの覚悟はしておいた方が良いかも知れません。
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