俺が23~4の時、親戚連中から爺ちゃんを介護施設に入れる案が出て、周りの支援のもと爺ちゃんは施設に入り、家には俺と母だけになった。
もはや夫婦同然の生活、家に帰れば自分の女が飯を作って風呂を沸かして待っている。俺にとってまさに最高の生活がスタートした。
爺ちゃんが施設に入って、2人だけになった初日、あの日は今でも忘れない。おそらく後にも先にも、俺の最高記録だろう。無論、1日で母を抱いた回数のことだが…
施設での手続きや荷物を運び終え、親戚達も帰った後、俺は我慢の限界を超えて母を押し倒した。母ももちろん抵抗するどころか、待ち望んでいたかのようにズボンの上から俺のチンポをさすってきた。
母のズボンと下着を一気に脱がせ、濡れているかも確かめずに、破裂しそうなほどパンパンに勃起したチンポを押し込んだ。
心配するまでもなく母のマンコはねっとり濡れていて、一瞬で俺のチンポを根元まで呑み込んだ。そしてその時初めて、母は声を出して喘いだのだ。
初めて俺のチンポで喘ぐ母の声を聴いた俺は、更にチンポを硬く膨張させて思いっきり突きまくった。母はあっという間に絶頂したらしく、腹部をガクガクと振るわせながら泣きそうな顔でデカい声をあげて喘いでいる。
俺はたまらず母に覆い被さってキスをすると、母のマンコに思いっきり腰を押し付け、限界まで奥にチンポを押し込んで射精した。自分でも物凄い勢いで中に射精しているのが鮮明に感じ取れた。
だが全く興奮が治まらず、その時は萎えることもなかった為、人生で初めてそのまま抜かずに3回連続中出しを達成してしまった。母も流石に放心状態で、途中で逝きながら失禁したのか、布団に水をこぼしたようにビショビショだった。
抜かずの3発が終わってチンポを引き抜くと、ぱっくり開いたマンコから湯気が出ていて、ヒクヒクと動く度に奥から精子が流れ出てきた。
俺は放心状態の母の口元にチンポを差し出し、尿道に残った精子を吸い出させ、休憩しつつ再び勃起するまでしゃぶらせる。そして母のマンコを軽くティッシュで拭くと、そのまま俺が上になって69し始めた。
母のマンコを広げてクリを剥き、舌でグリグリとなぶったり、吸いながら舌で弾いたりすると、母はビクビク震えながら甘い声を出して、俺のチンポを夢中でしゃぶり続ける。
そのうち、俺も母のフェラに耐えきれず4回目の射精。母の口周りは唾液と俺の精子や我慢汁でドロドロだった。
その後も再勃起しては挿入、体位を何度も変え、逝っても何も出なくなるまで母を抱き続けた。気がつくと午後9時を回っていたので、7時間近くヤっていた事になる。無我夢中だったので回数だけが正確に覚えていないが、少なくとも8~10回くらいにはなると思われる。
次の日、母も俺も性器が痛かった記憶は良い思い出だ。
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