後々もし色んな人のスピンオフを書きたくなってしまった場合には時系列がゴチャゴチャになってしまうでしょうが、取りあえずは「母子相姦」に特化して書いていきたいと思います。
2010年冬、住み心地が良くていまだに同じアパートに居座っていました。
僕の部屋は大きくは変わっていませんが、元々母の部屋だった6畳和室は要らない家財道具を一旦全部処分し、テレビ等と小さい冷蔵庫、ソファーとテーブル、ベッドフレームは無しでベッドマットレスのみ等々を新調しまして、ラブホテル風の部屋に仕上げてみました。
まだ部屋に母の生活感が残っていた高校1年の頃から友人達にも無料提供して「セックス部屋」のように使っていましたが、いつかは雰囲気もラブホテルのようにしたいなぁと。
ちなみに改装のずっと前からホテル名はもう決まってました。
高校時代から元母の部屋の事を仲間内では「HOTEL M(エム)」と呼んでました。
「今日M空いてる?」とか「M予約したいんだけど?」とか冗談半分で言ってましたね。
「M」はもちろん「MOTHER」の「M」です。
元々は紙に手書きで「HOTEL M」と書いてドアに貼ってましたが、今回の改装を機にプレートに文字を貼り付けて作りました。
リニューアルオープンした「M」での記念すべき第1発目の射精は、32インチのテレビ(当時の僕にとっては十分大画面でした)でAVを観ながらのオナホオナニーです。
2011年1月、「絶対に私に買わせて」と駄々をこねた母に買ってもらったスーツ等一式で成人式に出席して、式の後の友人達との集まりに参加しました。
母から
【終わったらスーツのままコエダ(マスターの喫茶店の仮名)に寄って】
とメールが来てたので、さらに次の集まりの前に喫茶店へ。
就職してさすがに「全メニュー無料」は廃止にしてもらいましたが、それでも身内割引で格安にしてくれてたので母&マスターとは頻繁に会ってましたから、スーツは着ない系の仕事だったんでスーツ姿をもっと見たいという母心で呼ばれたわけですね。
コエダは日曜祝日は早めにクローズで、この時はすでに閉店後でした。
3人でひとしきり話して集まりに向かおうとすると、母に
「そういえばエリカから聞いたけど、私の部屋の模様替えしたらしいね、ちょっと見せてよ」
と言われました。
まぁ歩いてすぐなので母と2人で自宅アパートへ。
母は「HOTEL M」のプレートを見てまずひと笑い、ドアを開けてひと笑い、ソファーに座ってひと笑い。
しばらく談笑して、僕は、普段は何となく衛生面などの目的で壁にもたれさせて縦に置いてあるベットマットレスを倒しながら、
「これをこうして、シーツをかけてからエッチするわけですな」
と言ってやりました。
母「………何で今それを倒したの?」
僕「分かりやすく解説してみただけで、意味は無いけど?」
母「………なんだ、犯されるのかと思ったのに…」
僕「……思った「のに」? 何か「のに」って言うと犯されたいみたいじゃん」
母「……………」
母は黙ったまま僕を見ています。
僕「………違ったらゴメン、犯されたいの?」
母「………エリカにここでバーコンしてるらしいね?」
僕「もしかして、それを聞いたらバーコンが恋しくなったとか? だとしたら全然やるけど?」
母「………ちょっと◎◎(マスターの名前)に電話する」
母はマスターに電話して
「1時間くらい●●と2人で飲んでから帰るね」
と言いました。
マットレスに使い捨ての吸水シートとシーツを敷き、ディルドとローターとローションを準備すると、母は
「………たまんない、見てるだけで濡れてくる」
と言って服を脱ぎ始めます。
僕もスーツやらを脱ぎながら
「何かスゴイ素直で可愛いじゃん。
最近欲求不満なの?」
と聞きました。
母「欲求不満ではないけど、あの人はオモチャとか使わない人だから」
僕「なるほど、じゃあ久しぶりにバーコンいっときますか~………と、その前に、手付けとして軽くフェラしといてもらおっかな」
半ダチしたチンポを久しぶりに母の顔の前に
つき出すと、母は以前のようにバキューミーに咥えてくれました。
その後バーコンで母を逝かせて、チンポを入れようとすると
「そうだゴメン、ゴムある? ゴムしてほしいんだけど」
と言われました。
僕「そっか、人妻になるとさすがにナマは無理か………どうしてもダメ? まだ誰かを妊娠させた事が無いくらい外に出せる男だけど?」
母「………いいよ、いいけど絶対に中出しダメだからね」
初めてゴムを要求した母を「これまた可愛い」と思いつつも、ナマで挿入したい欲が強くて……。
最後は母の胸の谷間に射精して、チン先をおっぱいに擦りつけてから母の口に押し込みました。
その行為こそが、エリカさんにもしていた、その頃のマイブームでした。
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