俺が9歳の頃、親父もオカンも腐りきってて、ネグレクトに近い感
じだった。
親父はクスリをやってラリって、
俺達が起きてるのもお構いなしにオカンと毎日パコってた。
オカンは親父ほどクスリはしてなかったみたいだけど、
たまにハーブみたいのをやってパコっていきまくってた。
セックス漬けの毎日。たまに働いては稼いだ金は親父に貢いでい
た。
ある夜。クソ親父に散々中出しされてくたばってるオカンを見て、
勃起したのが始まり。
最初はクソ親父が寝てる間に、オカンのオッパイを舐めだけ。
オカンはハーブのせいで意識が朦朧としてて訳がわかってない。
それからは早かった。親父とオカンに毎日見せられてきた通りに、
勃起したチンポをオカンのマンコに入れて腰を振ってみる。
今思うと気持ち悪いけど、親父の精子でヌルヌルして
オカンのマンコが気持ちよくて仕方なかった。
クソ親父に見つかったこともあったけど、
クソ親父はケラケラ笑って見てはオカンになんか言ってただけ。
それでガキながらに思ったわけだ。親父公認だって。
それからはオカンが正気のときも、親父が遊び半分で俺もセックス
に混ぜた。
オカンは親父に逆らえないから、妹達が見てる前でも俺と親父、親
子でオカンにハメまくってた。
家庭環境が家庭環境だから、俺は学校に行っても友達が居なかっ
た。
いじめられはしなかったけど、避けられてた。
みんな、「カズキは不良の子供」って思ってたみたいだ。
でも、俺は気にしなかった。毎日オカンとパコれたから。
学校に帰ってきて、親父がギャンブルで居ない、
しかもオカンがハーブで脱力してるときは、最高に幸せだった。
親父が帰ってくるまでオカンを好きにできた。
ラリってオカンから俺のチンポを求めてくるときもあった。
でも、親父がギャンブルに負けて機嫌が悪いときは最悪だった。
「テメーいつまでも人の女とやってんじゃねえー」と殴る蹴るの暴
力。
オカンはラリって助けてくれない。
そして体中ボコボコにされて全裸で外に出される。
あれは客観的に見て事件だったわw
そんなこんなで、最初の近親相姦はオカンが相手だった。
で、あのクソ親父が俺が小6のはじめに事故って死んで、
オカンは自然とクスリをやめた。
というか、クソ親父の呪縛が解けたのかな。
キャバ嬢とかAV嬢とかで生活を切り盛りしてた。
でも、俺の性欲は変わらないから毎日パコった。日課だった。
学校行って授業受けて、休み時間はボッチ。家は貧乏。親はクソ。
何一つ楽しくない。だからこそ、オカンとのセックスだけが心のよ
りどころだった。
小6の夏休みになると射精するようになって、
なおオカンとのセックスが楽しくてしょうがなかった。
あるとき、クソ親父が死んだからか、オカンが真面目になったぽ
く、
俺とのセックスを真剣に拒否りだしたことがあった。
たぶん射精できるようになって妊娠の可能性があったのもあるか
も。
オカンとできなくなったら、当然、小5の妹をセックスの対象とす
る。
オカンの見てないところで、妹に中出し。妹は何のことだかわかっ
てない。
でも、いつもあのクソ親父の暴力から守ってきた俺のことが大好き
だから、なんでも言う事を聞く。
まだ生理が始まってなかったから妊娠しなかったけど、
オカンに見つかったときは、元ヤンの血が騒いだのか、
あのクソ親父さながらの殴る蹴るの暴力。
オカンと最初で最後の大喧嘩だった。
オカンと親父のせいで、学校でボッチでいること。
オカンが唯一の楽しみのセックスを拒否ったこと。
最後はオカンが泣き出して謝る始末。
負い目を感じてるオカンは妹としない代わりに、
自分が俺とセックスすると言った。
でも、結局、俺はアヤカともセックスし続けたし、
オカンも見てみぬ振りをするようになる。
アヤカの生理が始まったときだけ、
ゴムをつけるようにって言うだけ。
オカンはオカンでピルを飲み始める。
俺は学校行って帰ってきたら、オカンの仕事が終わるまでアヤカと
ゴム付セックス。
オカンは仕事帰りに、俺が使うゴムを大量に買って帰ってくる。
明日の分の飯を作り置きして、俺に中出しされる。
アヤカは俺とセックスしたら、風呂に入って宿題をする。
オカンに俺がちゃんとゴムをつけてパコってるかと、
ちゃんと生理がきてるかを確認させられる。
エリカはうすうす気づいてるぽかったけど、よく理解してない様
子。
ユリカはさっぱり理解してなかった。
小学校を卒業するまではこんな生活だった。
今振り返ってみたけど、ホントにクソみたいな思い出しかないわw
一旦休憩入れるので、続きはまたあとで。
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