母親と初めて親子の一線を超えたのは1980年である。
その日にお母さんが好きだって告白しました。
お母さんもそうよ貴方が好きよ私の息子だからねと言いました。
僕はお母さんを抱いてキスをしながらパンティの中に手を入れオマンコを弄りました。
母親はキャっどこ触ってるのよダメよと言われました。
僕はお母さんが欲しいんだと答えパンティを引きちぎり僕はチンポコを出して挿入しようとしました。
お母さんはあっソコはダメよ私は貴方の母親なのよ辞めなさいあっダメって抵抗されました。
僕はお母さんじゃ無いと嫌なんだと答えチンポコを母親のオマンコに挿入しました。
10年近く親父とSEXしてない母親はあっあっ久しぶりあっあっ良いはあっあっでもね中出しだけは危険日だからと言われました。
僕は上着を脱ぎ捨てました。
母親は着物だったので直ぐに全裸にできオッパイをすすりました。
母親はあっあっ良いはあっもっと激しくして構わないあっと吐息が荒々しくなってゆきました。
僕はお母さん吐息が荒々しいよと言った途端に僕のチンポコから母親のオマンコの奥深く子宮内膜めがけてドッピュ〜ンと発射されました。
あっダメって言ったのに出ちゃったのねもう私は母親じゃいられない貴方の好きにしてと言われそれと同時に朽ち果てました。
その日から僕の母親はひとりの女に成り2007年9月28日まで男女の関係になって居て時々親父にバレそうになりましたがその時は横浜駅前にあった東急プラザホテルに行って母親とやりまくりました。
母親は2007年10月15日に享年66歳でご逝去しました。
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