私は中3の時に叔父に睡眠薬を飲まされてレイプされた経験がありました。
その後も関係を強要されて、結婚をしてしまえば止めてもらえると思い、
大学を卒業してすぐに就職して先の関連会社の人に交際を申し込まれて、
その半年後のプロポーズを受けてしまいました。
結婚して2ヶ月たった時、私との関係の再開を強要してきました。
逃げ場のない私は、主人に抱かれるよりも叔父にされる方が全然多くて、
叔父がクモ膜下でなくなるまでの15年間、主人を裏切り続けていました。
23年もの間、叔父に数え切れないほど重なられていた私は、
叔父が亡くなってから満たされていない身体の行き場所に困ってました。
自分では慰め切れなくなった頃に、たまたま乗った電車で痴漢に遭ってしまいました。
その時のことが忘れられなくて、私は満員電車に度々乗るようになってました。
何度か人混みの中で恥ずかしいことをされていかされてるうちに、
触られやすいような服装をして電車に乗るようになってました。
もうおばさんになってた私の身体に興味を持ってくれる人に
毎回遭うわけではなかったことが、私が大胆になっていった原因のような気がします。
ある日、叔父の匂いに似た人に痴漢されて、私は何度もいってしまい
立っていられないくらいになってました。
朦朧としていた私は、その人に腕を引っ張られて着いていってしまいました。
改札を出た裏手にある公園の公衆トイレで、2人の男性に裸にされて
中に出されてしまいました。
その時の私は狂ったように求めていたと思います。
あとから喉の痛みでかなり声を出していたことに気付かされてしまいました。
そんな自分に自己嫌悪していたのに、次の週も同じ時間の電車に乗ってました。
私は同じ人達に3回も身体を許してから、もう2度としないって思ったのに、
我慢出来なくて4回目の日でした。
トイレから2人が出て行った後、余韻で震えていたときに、背中から覆いかぶされて
乱暴に胸を揉まれて、俺たちにもやらせてって言われました。
朦朧としてた私は、答える気力もなくなっていて、声も枯れていて思うように
声も出せなかったのを覚えています。
ものすごく硬いオチンチンが口にもアソコにも入ってきて、唸っていました。
あっというまに出ちゃったはずの2人は、全然終わってなくて、続けられてました。
そのうちに、それまでとは違う感じに私は夢中になってました。
いつの間にか気を失ってた私は、気がついたときに若い子だってことをしりました。
その2人が娘の先輩と同級生だと知ったのは、次に遭った時でした。
また我慢出来なくてなって、電車に乗ろうと思って家を出て歩いていたときに、
苗字で呼び止められて駅の外にあるトイレに連れて行かれてそこでされてしまいました。
その後に、家でさせてと言われて、夕方まで言いなりになってしまいました。
その関係が2年間も続いて、
先月まで私は心の葛藤とは裏腹に身体は満たされ続けてました。
明日、久しぶりに2人に誘われています。
誘われた日から、疼いて疼いて何回もオナニーしてました。
早く硬くて何回もいかせたくれるおちんちんが欲しいんです。
社会人になった2人に早く会いたいんです。
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