難しい質問をされました。
親子でセックスしていたからそれだけで十分に変態行為なのに一番の興奮となると比べる事ができないですね。
あの当時は抱けて当たり前になっていましたから母親の名前を呼び捨てした時点でマンコを濡らす最高の女になってましたから。
毎日が全力でセックスして愛し合ってました。
そんな中、高3の夏休みの時母親の調子が悪い状態が続き、母親からもしかしたら妊娠したかもしれないと言われました。
毎日生でしている自分と月2でゴムでしている父親のどちらかがお腹の子の父親。
99%自分が種付けなのは理解しました。
母親は作る気はなかったけど出来たのなら産みたいと言い、父親に報告するしかなかったです。
母親が父親にこんな歳で妊娠したかもしれないと報告しました。
自分とセックスしてとは言いませんでした。
父親は仕事一筋の人ですが子供が嫌いな訳でなく驚いたがそうかそうかと喜んだ。
父親は有給を取り、母親と共に病院に行きました。
自分は留守番してました。
自分は本物の産婦人科は知らないから医者が母親のマンコを掻き回したりしてエロい事してる妄想をして久しぶりのオナニーをしました。
帰ってきたのは夜でした。
二人共にとても暗かったです。
父親の話を聞きました。
妊娠はしていた…しかし子宮にガンがあるかもしれないから検査入院しないといけないと言われました。
ショックでした。
10日くらい後に検査入院するらしい。
言葉がでなかったです。
その夜はそれ以降会話はなかったです。
次の日は父親は普段通り朝早く出勤して行った。
父親がすぐ出掛けていったのを母親は確認した後、すぐ自分の部屋に来た。
どうしょう…どうしょう…もしガンだったら…と泣き崩れた。
そんな母親はか弱き女性でただ抱きしめて大丈夫大丈夫と言うしかなかったです。
セックスする気さえ起こらなかったですよ。
2日くらいはお互いセックスは無しでただ抱きしめ合いキスして二人の時間を過ごしてました。
検査入院の日は自分も同行しそれ以降毎日見舞いに行きました。
病室ではセックスはできませんでした。
でも自分のチンポが母親の安定剤的存在で苦手なフェラをしてくれました。
セックスできない鬱憤は人妻でしてました。
ちなみに人妻の事は母親は知らずに亡くなりましたよ。
毎日見舞いに行きましたから出産間近の妊婦さん達や看護師さんらと仲良くなれました。
その時期から自動車教習所にも通ってました。
家の家事は母親の代わりに自分がしてました。
そして検査結果は子宮ガンでした。
選択は二つ、胎児を諦めすぐに治療すれば完治可能、胎児を生んでからの治療は進行状況次第でわからないとの事でした。
父親、母親、自分はすぐに答えはでなかったです。
一日考えて、父親と自分は母親第一の選択でしたが、母親は産みたいと頑なだった。
母親の意思に負けて出産する方向で一時的に帰宅しました。
母親とセックスは再開しましたが母親のカラダが心配で激しいセックスは控えました。
ただその頃の母親は子宮の中の子を母親の代わりにして欲しい感じでいたみたいです。
チンポを奥まで突くのは控えようとしましたが母親は中の子にパパのチンポ見せてあげて感じさせてあげてとはっきり言って求めました。
中出しも望み、これがパパの味なのよとか教えている感じでした。
チンポを子宮に打ちつける行為がガンの進行を進めるのかはわかりませんが予定日より2カ月前くらいで母親の体調を崩し入院。
それで帝王切開で女の子を出産。
戸籍上妹で自分の娘が生まれました。
出産後の母親は体力が著しく低下していて半月後亡くなりました。
それからは母親の忘れ形見の娘を自分は母親代わりに育てました。
高校卒業後就職してましたが退社して娘の面倒はすべてみました。
父親には保育所に入れられる時期まで無職になることを理解してもらいました。
父親は母親の死後より仕事一筋になりました。
ただ娘は可愛がりました。
母親が入院時に仲良くなった妊婦さんらも出産していたから子育ての色んなことの力になってもらえました。
数人は肉体的にも力になってもらえました。
そんな感じで月日は過ぎ、娘が5歳になりました。
長くなりましたので次は娘の話をしていきますね。
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