レスをくださった方、温かいコメントをありがとうございました。
「絵梨子の息子」様、母の実年齢をずばり書くのはご容赦ください。いろいろ分かってしまう恐れがありますので。
ただ、「絵梨子の息子」様が(一般的に)想像する年齢よりは若干、若いのではないかと思います。
実の母がとても若くして私を産んだものですから、
養子先となる母親もなるべく実の母に近い年齢で、若い方が良いという配慮があったようです。
(ただ、亡くなった父は母よりもだいぶ年上でした。)
6の「無名」様、私はまだ実の母には会ったことはありません。
『実の母に会いたいとはまったく思わない』と言えば、それもまたうそになってしまいますが、
でもやはり、会いたいとは思いません。
なぜなら、いまさら、実の母に会ったとしても、どうなるものでもないと思えるからです。
私は実の母が今どこで生きているのか知りませんし、もし私が実の母に会ってしまったら、
今、私が私の今の母と親子として深く愛し合っているというのに、
私と今の母の関係に多少なりともいろいろな混乱が生じてしまうような気がしてしまうのです。
私にとって一番大事な人は今の母です。
私が小さい時から大好きに思ってきた今の母がこの世で一番大切な人なのです。
だから、今の母に「実の母親に会ってみたい」などと言ったことは一度もありませんし、
これからも言うつもりはありません。
でもだからと言って私は私を手放した実の母を恨んでいるようなこともありません。
私は、実の母は私を手放したとはいえ、本当は心の優しい人であったのではないかと思っています。
なぜなら、スレの中で書きましたように、実の母は私をお腹に宿した時、中絶をすることも可能だったのだそうです。
でも母は宿した私という命を殺すことなどはできず、中絶をせずに私を産んでくれました。
身ごもった命を殺して見捨てなかった実の母は、それだけでも心の優しい人だったと言えるのではないでしょうか。
もし実の母が中絶をしていたなら、私という命はこの世に生まれて来なかったわけで、
私は大好きな今の母ともめぐり合うことはできなかったのです。
だからむしろ私は私を産んでくれた実の母に感謝をしています。
実の母は私を今の母に手渡すときに、涙を流しながら「この子を幸せにしてあげてください。」と言ったのだそうです。
母には私を母一人では育てられない、よっぽど、のっぴきならない事情があったのだと思います。
本当は実の母だって出来ることなら自分の手で私を育てたかったに違いありません。
だから実の母は、今きっとどこかで、私のことを気にかけながら、暮らしているのだと思えて来るのです。
だから私は実の母のことを思うと、実の母にも今は幸せになっていてほしいと願うばかりです。
実の母が「この子を幸せにしてあげてください。」と言って今の母に私を預けた時、
今の母はそのとき若かったようですが
「わかりました。安心してください。この子を、主人と一緒に、どんなことがあっても幸せに育て上げますから。」
と約束して、私を引き受けたのだそうです。そして今の母は約束通り、
私に無償の愛を注いで、私を大切に育ててくれました。だから、私は今の母が大好きなのです。
(表現はおかしいかも知れませんが)母の性器に私の性器を入れたいほど母が好きなのです。
一つにつながりたいほど母のことが好きで好きでたまらない、マザコン男なのです。
だから、母と裸になって抱き合い、キスをし、性器をはめ合って母の膣の中で射精をすると、
この上ない喜びと快感を感じるのです。
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