妹からラインが来ていました。
「パパはOKだっていっとるよ」の、あと「レナのお泊まりグッズをママに用意させとくだって」何か話が違う。
「お泊まり?今夜俺の部屋にか?」さっきラインをしたが当然まだ返してこない。
親父、何を企んでいる。第一いくらダブルだと言っても俺のベッドに3人で川の字で寝るには狭すぎるだろう。そうも送っておいた。 親父の策略にそうそう嵌まるわけにはいかない。俺にとってもそうだがこれは妹とレナのこの先の人生に関わる問題だ。
ただ心配なのは妹にも言えるがレナも親父の洗脳を既に深く受けていると考えたほうがいいだろう。
「アメと鞭」という言葉がある。今は社会的な風潮から児童虐待となる「体罰」は親も教師も行えなくなっているが昭和の時代には家でも学校でも児童への教育の有効な手段として普通に頭を叩いていたという。
握りこぶしでガンとやられれば当然痛い。痛みと言うのは言葉の何百倍も記憶に深く潜り込むものなのだ。大変に効果の高い刷り込みである。
妹もレナも親父から肛門へ大人の太いペニスの侵入という肉体的な痛みと辛さを与えられ続けたがそれだけなら痛みを与えてくる親父への憎しみだけで終わる話なのだ。しかしその前後があるからヤバい。アナルを攻められる前に猛烈な性的刺激を受ける。自分を自分でどうしてよいかわからないほどの快感を感じさせられる。そして次にくる激しい痛みと恥辱、妹の場合には脱糞という辛い体験もあった。そして痛みから解放された後に再度襲ってくる親父の性感愛撫による肉体の快楽、それを交互にされることによって「痛み」と「快楽」の境目が判然としなくなるのだ。マゾへの調教だ。浅く心ではわかっていても体の奥深く浸透させられた「痛みと快楽」は深層心理を蝕み自分の心さえコントロールすることができなくなる。そして親父の洗脳の怖さは決まった「スイッチ」を設けることだ。
妹の場合はアナルを使われる時に必ず親父に言われるという「息を吐け」という言葉だろう。これは本能的に異物が潜り込むことを拒絶する肛門の括約筋を緩めるためには有効な指示だ。一旦ペニスの太い亀頭の侵入を許し広げられてしまった肛門はもう締める力を失って抵抗ができないのだ。俺が妹のアナルにペニスを侵入させる時も「息を吐いて……」と言うとそれまで必死に締めて抵抗していた肛門をまるで菊の花が開くようにだらしなく広げて見せてくれる。
おそらくレナにも同じ洗脳スイッチを組み込んでいる。そしてレナの母親にもだろう。
あの日の遠く色褪せた記憶にまだ幼かったレナの母親が親父のベッドで両足を高々と持ち上げられてクンニを受けている姿を思い出していた。そのあと確かに親父がその子供の腰の下に手を回して持ち上げるように浮かせ何やら自分の腰を押し付けていたのを見ていた。性に目覚めた頃からずっと今まで俺はその光景を膣への侵入をしていたと思っていたがあれはその子のアナルへの侵入だったのだと気づいたのは最近だ。
レナの耳に「息を吐いて」と囁いてみてレナが何らかの反応をみせるなら俺の推察は当たっていることになる。あの自分の娘をエサに使う魔女にもいつか試してやろうか。
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