配偶者の真意は分かりません。
想像するしか無いのですが、あたりハズレを問わずに配偶者の真意を考えると言葉は性奴隷という激甚なものですが「家庭にセックスを持ち込まない」と平然と酒席のジョークに供する男たちが多い社会にあって家族で性の交歓があるというのは、それが無い家庭が家族ヅラしているよりはまだしもマシなのかと思うこともあるのです。
その理由は驚かれるかもしれませんが、過去十年ほど人類史、脳科学、社会学の書籍を中心に読んできたことも大きいです。
それも中野信子レベルの読み物ではなく英米の第一線級の歴史学者、人類学者、脳科学者の一次情報を読んできて性愛の人類史的な特異さがよく分かってきたのですね。
50年前の高校倫理の教科書の時制で習ったことはほとんど役に立たないのがわかりました。
実は先端の人類史学や脳科学は他の学問の発展速度の5倍、10倍早いので世間常識とはまったく噛み合わないほど先に進んでいるんだと知りました。
DNAのゲノム解読も終わっています。
近親相姦で子供が生まれたから知能が下がるなどかなりまことしやかに伝播していますが、根拠の無い妄想のご近所だと思います。
樹上生活を終えて草原に人類の祖先が地上に降り立った時代から830万年として眺めをとれば
猫族を中心とする猛獣の餌食で350万年以上、その後も猛禽類に鳥類が加担して人類がなんとか部族を維持してアフリカを出発できたのはせいぜい10万年でしょう。そのあいだ人類を含む新生人類を維持したのは生殖のシステムと侮りがたい規模の近親婚がかならず関与していたはずです。
部族社会化とは、むしろ近親婚の隆盛さの結果ではなかったかとすら思っています。
偶然、40代保護者とその子弟を間近で観察することが日常にあって興味関心が湧いてきたことでこちらに漂着したものです。
実に興味深い事象だなと読ませていただいて感じている次第です。
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