幼い頃、いくつだったかもう覚えてもいないほど小さかった頃に誰でも経験のある「お医者さんごっこ」「パパママごっこ」から私たちの今が始まったんです。 二人はまだ学校にも行っていなかったと思います。パンツを半分下ろすなんてセクシーなセンスなどなくいつも下半身は丸出しで引っくり返したカエルのように足を広げた妹の股の間に私は正座して妹の性器にイタズラをしていました。
妹のクリトリスはその頃から本当に長くて被さる鞘から白っぽく先端が飛び出して見えていましたのでいつもそれをイタズラするのが始まりだったのです。包皮を人差し指と親指とで上に押し上げるとプルンとクリトリスが露出しましたが小さい頃でもあり剥けた皮と肉芽の間には米つぶより少し大きな位の黄色い垢がたくさん溜まっていてそれを綿棒やガラスのマドラーの先でほじくるという遊びをよくやったのを覚えています。その垢はいじっている間に物凄く臭い匂いを立ち上らせていたのを覚えていてそれが今の私の不潔な匂いフェチの源なのだと思います。
その頃は二人とも知りませんでしたがいじっているうちに何だかヌルヌルとした液で妹の性器が濡れて来るのでしたが私はそれを汗だとばかり思っていていつも暑くもないのになんで汗をここだけにかくのかなぁ、なんて不思議に思っていたものでした。その汗が小さな穴の窪みに次第に溜まって来る頃には妹はお腹を大きく上下させながら虚ろな焦点の合わない空間を眺めながら鼻息を荒げていたのはクリトリスに受ける刺激で強い快感を感じていたに違いありません。
幼児は性器刺激で快感は感じないというのは嘘だと言うことを私は経験で知っているのです。
「パパママごっこ」は妹の指導で始まりました。どこでそんなことを覚えてきたのかはわかりませんが私の性器と妹の性器を擦り会わせるという遊びで正しく正常位でのセックスそのものでした。もちろん勃起などした記憶はなく私には楽しい遊びではなかったように思います。
もう少し大きくなると妹は家の勉強机の角を跨ぐようにして自分の性器に食い込ませてゴリゴリと腰を振って口を半開きにしながら遠くを見るような虚ろな目をしてオナニーをしたりするのをよく見ていましたが何度か大人にイタズラをされた事で両親から厳しく叱られ人前で性器を刺激する事は無くなったのですがそれでもなかなか考えたもので、それとなく気がつかない方法をあみだしては楽しんでいたようです。
たとえば片膝をついてしゃがんだ格好でぼうっとしている事が公園などでよく見かけたのですが良く見ると足のかかとを性器に食い込ませてグリグリと足首を動かして刺激していたのです。
そんな状態でしたから妹のパンツのクロッチ部分はいつも汚れて真っ黒になっていましたね。
高学年辺りにもなるとさすがに外ではしなくなりもっぱら部屋のなかで楽しんでいたようです。夜中に皆が寝静まった頃に隣の部屋から怪しげな息づかいが聞こえていました。
その頃には私も自慰を覚えてしまい妹が何をしているのかも分かっていましたのでその切ない妹の喘ぐ声が最高のオカズでした。毎日まいにち妹とセックスする妄想で何度もなんども一滴の汁さえ出なくなるまでシゴいたものです。
そしてとうとう選択かごから妹の汚いパンツを盗んでしまったのです。
最初は黄色に汚れたシミの匂いを嗅ぎ、舐めては興奮して抜いたあと篭に戻していましたがある時妹が思いのほか早く風呂から出てきたために戻すことができなくなってしまい仕方なく机の引き出しに閉まったままの事があったのです。 ドキドキでしたが妹も特に騒がず、気がつかなかったのだろうと勝手に思い込み暫くそのパンツで楽しんでいました。
そのうちいつのまにかいつもは脱いだ服の下に隠すように置いてあったパンツが一番上になっているようになり、盗みやすくなったことに私は気がついていませんでした。しかも丁寧にも汚れた部分を広げて、、
そして我慢できずに妹の汚した下着のコレクションは増えて行ったのです。
妄想は互いに中学になった頃にはもう妹とのセックスのみとなり毎日の妹を見る私の視線は妹の股にばかり集中していましたので妹が気がつかない訳がありません。後で思えば何度も妹の誘いがあったのです。
たとえばスカートでM字座りを私の前でして赤い体育用のハーフジャージを見せつけたりキュロットスカートの片足を上げてソファーに寝転んでパンツをわざと覗かせてみたり、そんな時は必ず私の視線を横目でチラチラと確認していたものです。
それなのに私ときたらただ覗いた後でその興奮を自慰のネタにするしか出来ないチキンだったのです。
でもとうとう妹を押し倒したあの日、、、
隣のババァ、じゃなく「おばさん」に邪魔をされた訳です。
すみません、長々と思出話ばかり。
ここに至るルーツを知って欲しかったのです。
次は真面目にエッチ話、致します。
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