教頭先生というのは異動が速いのか、秋子さんは3年でまたほかの街に転勤して行ってしまいました。
約3年間、伯母である秋子さんと中出しセックスを楽しみました。
最後のセックスは、秋子さんの転勤先のアパートでしました。
引っ越しを手伝った夜、一泊させてもらって、4~5回中出しして、お別れしました。
「ケンちゃん・・・伯母さんにとって一番の彼氏だったわ。素敵なセックスをありがとう。」
「じゃあ、秋子おばさん、元気でね。さようなら。」
「ケンちゃんもお仕事がんばってね・・・」
秋子さんは、バックミラーから見えなくなるまで手を振っていました。
秋子さんは五十路のおばさんでしたが、最高のオマンコでした。
秋子さんが転勤した半年後、3歳年下の妻と知り合い、2年交際、私28歳、妻25歳で結婚しました。
妻は秋子さんに似た雰囲気の知的で清楚な女性ですが、処女ではありませんでした。
でも、私の17㎝砲を見て、
「うわあ・・・正直いうと、私元彼2人いたけど、圧倒的に大きい・・・」
と言いました。
「お、お、大きくてお口に入らないから、ペロペロで我慢してね。」
秋子さんは何とか咥えくれましたが、妻は無理だったようです。
子供も2人生まれて、幸せな結婚生活を送っていた先月、秋子さんの訃報が届きました。
享年72歳、独身の秋子さんは、独り寂しく旅立っていきました。
秋子さんの実弟である父と、遺品の整理に行くと、テレビの隣に、20年前に映した私と秋子さんのツーショット写真が飾ってありました。
「姉さん、健太のことが好きだったっけなあ。本当の子供みたいに可愛がってたよな。」
と言いましたが、秋子さんは、甥っ子とのツーショットではなく、元彼との思い出として飾ってあったことは、私しか知りません。
秋子さんとの3年は、私も墓場まで持っていくつもりです。
そしてここに、元カノである伯母の秋子さんとの思い出を綴ります。
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