人は亡くなるものだけど、無くなった訳ではない。
空気や電波、紫外線や赤外線みたいに見えなくなるだけ。
存在が消えた訳ではない。
生きている者に認識できなくなっただけの事。
喪失感に悲しむのは、生者の弱さ。
亡者が現世に残した家族や知り合いの悲しみを、喜ぶはずもない。
だから私は、人の死に悲しむ人には、笑顔で見送る様に諭す。
讃美歌を合唱したり、楽器を使ってリズミカルにお経を唱える理由を諭す。
愛情も、目には見えないけど、存在を信じる事で、幸せを感じるもの。
って、事です。
人は誕生した時から、死ぬ運命を背負っている訳だし、この世も誕生した時から、滅びる宿命を背負っている。
自然で当たり前の事だから、泣いたり悲しんだりする必要はない。
喪失感に泣くのは、迷子の子供と同じもの。
大人だったら、喪失した事を嘆くより、生まれた喜びや出会えた幸せに感謝すれば良い。
生殖は美徳。
人の存在は、人を幸せにする。
だからエロを謹慎するべきではない。
私は強引だとは思いません。
身近な人の死に、驚き戸惑い、一時は泣いたりもしますが、生きる喜びを思い出して、すぐに立直ります。
葬儀では、亡くなった人から授かった愛情や恩義に応える為に、感謝の気持ちを込めて、見送ります。
って事は、先人から教わった話。
Sって立場もあって、安っぽく泣いたり出来ないのもあるけど、私の笑顔に興奮するMがいるなら、私は笑顔を絶やさない。
これが私の答えだから。
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