兄が神戸へ行っても、私はお小遣いやバイトで貯めたお金で月に1回は神戸へ行き兄と会っていました。
朝早い新幹線に乗り、神戸では兄が迎えに来てくれていました。
もちろん毎月なんて両親にいえるはずもなく、ほとんどが内緒でした。
GW,夏休みには大手をふって両親に言い、諸費や宿泊費を出してもらっていましたが。
兄の神戸なアパートはとても狭く、でもその狭さが二人にとって心地よかったのです。
「早季子、よく来てくれたな。ここのラーメンおいしいんだぞ。」と、まずは兄のアパートでことを済ませるとよく外へ食べに行ったものでした。
そのまま、神戸の街を検索とばかり兄と二人で手を繋いで歩き、帰ってくるとまたアパートで兄に抱かれ新幹線で買えるパターンなんです。
月に1回、2度抱かれるのが私の中で唯一私が兄を感じるときだったんです。
そして私はいつしか大学を兄の近くの大阪と決めていました。
と言うのも、兄は神戸の大学を卒業すると大阪の会社に就職しようと決めていたようなんです。
兄の就職前に私が大阪の大学へ行っても両親は何の疑いも持たないと思ったから。
決して離れず、でも近寄りすぎないというのが私と兄の両親から疑いを持たれないための合言葉でした。
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