少し早めの冬休みと言いますか、母が倒れて看病のため私が休んでそのまま冬休みに入る形です。
いろいろと心労が重なっての病だと私は思っていますから私が面倒を看る。罪滅ぼしではありませんが・・
あまり病気とかしたことの無い母が倒れた、言い過ぎかもしれませんが過労みたいなものです。
入院とかまではしませんでしたがショックでした。私のせいで母に余計な心配させてる。
母の代わりに家事やら家の事をこなす日々が少し続いた。同時に考える時間もいっぱいもらえた。
母の元に行って着替えやらさせていると母から提案があった。渡されたパンフレットのようなもの。
母なりに考え抜いた結果だと思う。渡された物は転校先の案内だった。
全寮制の女子大の付属校のようで聞いたことがある。母の母校だった。
この街からは随分と遠い場所にある学校、つまり出て行けというわけだ。
よく考えて聞かせてちょうだいということだが、断われるような状況ではない。
3学期が始まったら手続きやらですぐだろうから早めに返事をしなくてはならない。
幸い母のツテがあるらしく転校自体は問題ないらしい。そこまで話がついているようだった。
異常とも思える私の行動だから母としては最善の方法を考えていたのだろう。
デリケートな問題だから父にも相談できず転校の言い訳も考えていた。そのまま大学まで行けるからと。
精一杯私は母に対して強がりのように前向きな返事をした。そうだね、あと1年なんて長いもんね。
近親相姦を1年も放置できるわけが無い。母からしたら充分すぎるほどの提案だと思う。
でもそんな話をしながら私の目からは涙が溢れていた。自分でも可笑しいくらい止らない涙。
拭っても拭ってもとめどなく溢れてくる。そんな私を母が抱きしめてくれて一緒に泣いた。
私の思いを全部ぶつけた。もう私はどうなってもいい、弟が好きなのだけはわかって、これだけは譲れない。
真剣な顔で聞いてくれ、母の胸の中でまた泣いた。子供のように泣き疲れ寝てたみたいです。
起き上がると母が横に寝ていた。私が起きたのを見たら起き上がり私に言う
「ごめんね、あなたたちを姉弟で生んで。」
その言葉でまた泣けてきた。男共が帰るまで母とずっと泣いていたような気がする。
こっちこそ母にはごめんと謝りたい。こんな私でも見捨てず考えていてくれてた。
母にどうしようもない私の我がままを言う。この休みは好きにさせてと。
落ち着くまでしばしの時間が必要なくらい落ち込んだけど今は大丈夫。割り切って考えよう。
別に弟と会えないわけじゃない、帰ったら会える。エッチできる。愛し合える。
そして将来好きにできる。私は家を出たらきっと後から呼んで弟と暮す。母にも言った。
弟が私から離れるまで私の元に置いておくと。私からは離れないとまで言い切った。
母の諦めた様な顔と微笑み、しょうがないわねと言う様な顔だった。
正月が明けたら転校の話を進めていく、弟にも告げなければならないのがキツイ。
そう言えば学校の友達とか全然気にならなかったなあ、やっぱり私って変。
※元投稿はこちら >>