この部落はほとんど貧富の差がなく貧しかったのだろう。
何をやるにも共同で事に当たらなければ部落を維持できなかった
だから、貞操観念がないというより、内外の観念がなく、みんな一緒
大家族、ダレの種でもなくみんなの種、的な気持、常識が支配していたのだろう。
これが、土地持ち、土地なしと身代が違ってくるとこうはいかない。
田植え、稲刈りなどの共同作業のあとはお疲れ会的にこういうのが
開かれた?これが愉しみで農作業にも張り合いができたのじゃないかな。
日常空間を振り捨てて無礼講で男も女も本能に身を任せる。
いいですねえ。
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