留美子は生理が始まると無理にセックスすることはなかったのに、なぜか私のペニスのことをとても心配していた。小学生の時から精液を飲むことを知っていたので、溜まっていく精液を何とかして抜いてやろうと思っていたようだった。そのおかげで生理の時は殆ど毎日朝学校に行く前に飲んでもらっていた。そんなことが毎月一週間まわってくるのですから、私も留美子も習慣のような感じでならされていったのです。
母が留守にするときなどは朝から心の準備だけはしていたので、玄関締めた時から留美子とのセックスの時間が始まり、多い時には中学2年生の時から5回留美子の肉壺の中に精液を放出したこともあった。
留美子とのセックスは母との三人生活が多かったので、思うようにすることができた。留美子が船乗りと結婚することになったのは、このような生活が大きく影響していたのであった。実は父が外国航海の貨物船の航海士をしていたので3か月に一度しか帰ってこなかった。3か月間のあと1か月間の休暇があって、その繰り返しだった。だから留美子も私も母が父とセックスした時の様子はよく観察できていた。
このような生活から留美子は私と生涯セックスするためにはどうすればいいのか、中学生の時から思いを巡らしていたのであった。留美子が高校に行くとき一緒の高校に行くべきか女子高に行くべきか母と相談していた時、女子高に決めていた。それは私との生活を快適にするために留美子が判断したようであった。
留美子とは高校時代は本当によく抱き合った。それは、母の暗黙の了解をいただいたことが大きかった。それは留美子が中学生3年生の時、母と話した時に遡るのである。母には留美子には恋人がいるような感じがしてならなかったようで、すでにセックスを済ませているみたいで心配の種だった。
二人で話した時、母がしつこく尋ねるので本当のことを話す代わりに、この関係を壊さないでと約束をして話したのであった。母は、まさかとは思ってはいたが本当のことを話されびっくりしたのであった。それも留美子の小学6年生の時から二人で抱き合い、母親として気付くことができなかったことに随分ショックを受けたみたいだった。避妊のことなども随分心配されていたようで、スキンを買うための費用も母が出すことになった。
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