それから俺と母はほぼ毎日、やって、やって、やりまくりの日々でした。
母は俺とそうなろうとした理由を、なかなか明かさないでいました。
すっかり母の身体に、エッチの虜になってしまったので、特に理由も強く求めないでいました。
それが俺が高校生になるってときに、母はその理由を初めて明かしました。
両親が離婚して以来、母と二人で暮らしてましたが、自転車やバスで30分くらいのとこに住む父のとこにも、父の都合の良い週末に、会いに行ってました。
月に一回か二回。
父は優しく、男同士の話しが楽しかったんです。
小六のとき、修学旅行のお土産を父に届けたいと、母の許可をもらい、平日ながらも父のとこに行きました。
修学旅行の土産話しをしてるうちに遅くなり、父が明日朝、うちまで送るから泊まれとなり、俺はその許可をもらうため電話しました。
母は物凄く怒り、やむを得ず父と電話を変わると、受話器越しにも母の怒る声が聞こえました。
俺には何故母がそれほどまで怒るか、理解出来ませんでした。
ため息をついて、受話器を置いた父は、ダメだって、今から迎えに行くってさと、寂しそうに言いました。
やがて来た母は、父のことなど無視し、俺を連れて帰り、車の中では、母の説教を聞かされました。
『お土産届けるだけって約束だったでしょ!明日学校あるんだからわかってるでしょうが』
この頃から母は、俺が父の元で暮らしたいと言い出すのではないか、そうゆう危機感を募らせていたようです。
そしてこれは俺が高校卒業後、父から聞いた離婚理由なのですが、表向きは父の浮気が離婚理由ですが、父の浮気した理由ってのが、母にもあったと聞かされました。
俺の育児を理由に、母との夫婦生活がなくなっていき、父も若かったでしょうから、浮気してしまったそうです。
そのことも俺とのことに、母に微妙に影響したようです。
修学旅行の件があってから、母はある人生相談聞いてくれるような所に行くようになっていたそうです。
俺は全然知りませんでした。
息子が離婚した元夫に取られそう、そう危機感を持った母。
夫が自分から去ったのは、女としての勤めを怠った、女の武器を使わなかったからだと言われたらしいのです。
二度同じ失敗はしたくない母は、俺に女の武器を使い、留めようとしたのです。
理由を聞いたとき、俺は何故か平然とそれを受け止めました。
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