子供だった俺の目にもその異常なまでの華やかな部屋は
ただ単に宿泊の為だけのホテルでは無い事くらいは何となく察しがついた
ハナッから母は貞操な女ではない
俺たちを母の実家に預けて長距離トラックを転がしていた頃は
高速道路のパーキングで仮眠する時に 頻繁にトラッカー達と運転席後部の
ベッドでやりまくっていたらしい
もちろんタダではやらなかったらしいが名神、中国道辺りではちょっとした
噂になっていたらしい
まだまだ若い女性の大型長距離ドライバーなど少なかった時代だ
走っていてもナンバーで見つかって横に並んだトラックから「やらせろ」と
合図されれば指を二本立ててウィンク!
相手がOKサインならそのトラックの後ろに着いて二台でパーキング入りだ
全週カーテンを引き そんなに丁寧なサービスなどはせず、大概はいきなり
騎上位で男にまたがってヌイてやるだけで二万!
「笑いがとまらねえ~よ」と 俺とのセックスも日常的になった頃に自慢げ
に聞かせたものだ そのためにコンドームは欠かさず常備していたらしい
生でした事は数回、 中にはもう一万、三万で(生で)やらせろって言う
野郎もいたらしい
相手が好みのタイプならOKして騎上位では無く 足を開いて(抱かれる)
事もあったと言う
なんにせドライバーでの収入を遥かに超えた現金を文字通り 体を張って
稼いでいた訳だ
そんな母にとってラブホテルでセックスなんてのは躊躇の対象等では全く
無かったのだ
ただ、これから一発入れようってチンポが自分の息子っていうのはさすがの
彼女でもそれなりに心に痛いものが有ったのではなかろうか
強がってはいても(母親)である
ありとあらゆる体位でのセックスを教えてくれながらも(フェラ)する時だ
けは決してその顔を俺に見せようとしなかったのは
彼女なりの母としてのプライドみたいなもの? だったのか ・・・・
もっとも、それも俺の持続性が上がり 彼女が本気で善がるようになった頃
には母親のプライドなどかけらもなくしてしまって俺の背中に爪を立てて呻
き 善がるタダの淫乱な年増女となってしまい
まるでアメリカンポルノで見るような 上目使いで俺の表情を楽しみながら
激しいフェラをしてくれるようになったものだ
しかし、その時にはまだ母は(母)であり、母として息子の欲求処理をして
あげるためだ と、言う大義で自らのプライドをかろうじて守っていた
交接の回数を重ねる毎に母の性感への強い欲求は次第に高まっていく
屋外での変態じみた悪戯まで俺と楽しむようになった事に比べればラブホで
一発!なんてのはかわいいものだったのだが
俺にとっては何もかもが初体験であり 母にとっても自分の息子やるってい
うのは其れなりに気も使い、不安もきっとあったことだろう
母は その日 三回目の風呂へ入って行った ・・・・・・・
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