僕が子供の頃、僕の家では同居していた祖父(父方の祖父)と母がセックスをしていた。当時母は38歳。父は単身赴任でお盆と正月くらいしか家に帰ってこない。最初に祖父と母のセックスを見たのは僕が小学校4年の時だった。その頃のことは以前2回投稿した。その後、中学や高校に通う同級生の兄貴たちから、子供がセックスでできることやコンドームのことなどを教えてもらっていたので、余計に母と祖父のセックスのことに興味が湧いた。
小学校5年の夏、父が夏休みが取れたので家族で伊豆へ海水浴に行くことになった。ところが、直前になって仕事の都合で父が行けなくなったので、祖父と母と私の3人で行くことになった。海へ行った最初の晩、昼過ぎから夕方まで海で泳いで疲れているはずなのに、日焼けで体中が痛かったことや、蒸し暑さ、そして母と祖父がセックスするかもしれないという期待でなかなか寝付けなかった。部屋にはベッドが2つあり、奥の壁際のベッドに僕、その隣に祖父、母は畳の間に布団をしいて寝ることにした。部屋の電気を消した後も寝付けないままでかなり時間が経った頃、母は布団の上でうつ伏せになりテレビを見ていた。祖父が僕の名前を3回ほど呼んだが寝た振りをしていた。すると祖父がベッドから出て母の布団のところに行ったので、僕は気付かれないように薄目を開けて様子をみていた。祖父はうつ伏せでテレビを見ていた母のお尻をなでたりショートパンツの中に手を入れたりしていた。母は抵抗をせず、「お義父さん、今日は子供がいますから」と言っただけだった。祖父が「○○○(私の名前)は泳ぎ疲れて熟睡しているから簡単なことでは起きないので大丈夫だ」と言い、ショートパンツの中に入れた手を動かし続けていた。テレビがついたままなので、2人の様子はよく分かった。しばらくして母の息が乱れ、母が腰を上下前後に動かしているのが分かった。母が「お義父さん、もっと、もっと」と喘ぎながらテレビを見ていた顔を祖父の方に向けたので、祖父と母がキスを始めた。祖父が母のショートパンツとパンティを脱がし、祖父の右手で母のマンコを愛撫したり、お尻をなでたりしていた。その後、祖父は母をうつ伏せのまま、ひざを立たせお尻を浮かせた状態で後ろから母のマンコを舐めはじめた。僕が起きないと思い込んでいるのか母の声はいつもより大きく「あ~いい、あ~いい」を繰り返していた。母が「お義父さん、おマンコに指を入れて」と言ったときはすごくいやらしく、興奮した。祖父は母のマンコに指を入れ同時にアナルを舐めはじめたらしかった、母が「お義父さん、お尻はダメ、お尻はダメ」と言いながらも、気持ち良さそうにされるがままになってた。しばらくして、母が「いっちゃう、いっちゃう」といい、体を痙攣させてうつ伏せに倒れてしまった。しばらくして、母は着ていたTシャツを自分から脱ぎ、祖父も裸になった。母は祖父を仰向けにして自分から祖父の大きくなったチンコをむしゃぶるように舐めはじめた。それもおいしそうに舐めていた。いつもと同じで祖父のチンコは大きくそそり立っていた。子供心に大人のチンコがどうしてあんなに長く棒のようなのか理解できなかった。そして2人は69のスタイルになり、お互いのチンコとマンコを舐めあっていた。その間、絶えず母の「ん~、ん~」と言う喘ぎ声が聞こえていた。その後母が「お義父さん、入れて」と言い自分から仰向けになり足を開き、正常位でセックスを始めた。祖父の腰が動いているのがいやらしく、母は「あ~、いい、あ~、いい」と喘いでいた。その後、バックスタイルになり、後ろからセックスを始めた。こんなやり方もあるのかと僕は興奮しっぱなしだった。母は興奮と快感に酔いしれているようで僕が側にいることを忘れてるようだった。その後再び正常位に戻り、祖 父が激しく腰を動かしていた。母が「もっと、お願い、もっと、お願い」といいながら足を大きく横に開き、「ダメー、ダメー」といって体を突っ張ってしまった。そして、母が「お義父さんもいって、お義父さんもいって」、「今日は大丈夫だから」と言った直後、祖父が母の名前を3回ほど呼び激しく腰を動かしキスをして動きが止まった。祖父の腰がしばらくひくひく動いていた。しばらく2人は抱きあったまま動かなかった。その後、部屋に干してあったタオルで祖父が自分のチンコと母のマンコを拭いていた。
その時はコンドームを使わなかったので、いわゆる「中出し」だった。その頃中出しすれば妊娠すると思っていたので、子供心に混乱してしまった。今思えばおかしなことだが当時は真剣に母が妊娠してしまうと僕は悩んでいた。