自分の母親の性に肯定的な人が多いのでびっくりします。
きっと男性だからなのかもしれません。
私の家族は、母と娘の私の二人きりです。
私が小4のときに父と離婚しました。
母の浮気が原因です。
私は母に引き取ら、アパート暮らしでしたが、
母、次々と「ボーイフレンド」をつれてきました。
保険の外交員をしていたのですが、多くはお客さんだったようです
二間の狭いアパートでしたが、お構いなしでした。
私の存在に気兼ねして、ひるむ男性に、「寂しいの」とおねだりをするのが母の手でした。
小学6年になり、私も初潮をおえたころには、
さすがに、母も、私がいるときはなかったのですが、
風邪で早退して寝ている私に気がつかなかったのか、
男性を連れてきて、またいつものおねだりが始まってしまいました。
声からすると、家の改築のため、一時的に越してきたお隣の長男でした
当時大学に通っていましたが、私が小学校のクラブでフルートをやっていると話すと、
吹奏楽団に所属しているそのお兄さんはいろいろと教えてくれていました。
初恋でした。
母はいつものように、悲しそうな声で「寂しい」とすがりついているようでした。
彼はとまどいながらも、母の餌食になりました。初めてだったようです。
母のみだらな泣き声にお兄さん獣のようなうめきが重なりました。
母はトイレに来るときに私に気づきましたが、「あらいたの」
と言ったきりでした。
しかし、それからと言うもの、お兄さんは何かにつけてうちに遊びに来るようになり、私がテレビに夢中になっているふりをすると
二人でトイレに入り、・・・出てこないこともありました。
中学にはいるとお客さんだった町工場の
社長さんの紹介で
そこの事務の仕事に変わりましたが、
夜遅くなることの方が多くなりました。
中一の夏休み
離婚後一度も行ったことがなかった家族旅行に、
出かけることになり
喜んで母と二人で旅館に着くと
そこには「社長さん」がすでに来ていました。
夕食後、私は一人になりました。
いたたまれなくなり、
一人で海にいきました。
体格のよかった私は、中学生に見えなかったのかもしれません。
地元の学生風の男性たち数人に、
声をかけられ花火をしていました。
中一というと皆驚いた顔をしましたが、
おもしろいところがあると、私を誘い
しまっている海の家の調理場にはいりました。
「生理はあるの?キスは?彼氏は?オナニーはする?
処女なの?セックスには興味ある?・・・」
彼らはにやにやした嫌らしい薄ら笑いを浮かべながら、嫌らしい質問をしたり、
私の髪をなでたり、においをかいだり、肩を抱いたりしてきました。
恐怖で、なにもできないでいることを見抜くと彼らは私のTシャツに手をかけました。
服を脱がされ、犯されそうになりましたが、あまりに痛がったので、挿入はあきらめたようでしたが、
全裸の私にフェラを強要しました。なきながら
くわえました。
最悪の夜でした。
部屋にもどうと母はそのフェラを楽しそうに・・していました・・・
死にたくなったし・・母を殺したくなりました。
それ以来
男の人が怖くなり、
学校も男性の担任だったので、
行かなくなりました。
今は、ことと20才になりますが、
あのことがあって以来男性恐怖症で、
男の人とあまり話せません
父の妹(叔母)と暮らしています
あいつを殺したい・・・・みだらな母を