以前、母親と叔父(父の弟)とのセックスのことをここに投稿した。その続きである。前にも書いたが、叔父が僕の家にくる時は父親が出張や職場の旅行などで不在のときが多く、そのような時は決まって、母と叔父は夜中に居間でセックスをしていた。母は特殊な資格を持った仕事をしており、都内への出張も多かった。僕が中学1年生の時、叔父は結婚をしたのだが、母が泊まりの出張や会社の旅行でいない時、僕は用もないのに叔父のアパートに電話を掛けた。ほとんどの場合、叔母(叔父の奥さん)からの返事は、叔父は急な出張や徹夜の残業ということで、その晩は帰らないとのことだった。多分、都内のホテルで母とセックスをしていたのだと思う。地方の企業に勤める父に比べ全国規模の某企業の地方支店に勤める母の方が給料が高かったので、父も母の行動には何も言えなかったみたいである。その後、大学受験に失敗した僕は都内で一人暮らしをして予備校に通った。 2月の受験の時期に僕は風邪をこじらせて熱を出しながら入試を受けていたところ、急きょ田舎から母親が休暇を取って出てきて、1週間身の回りの世話をしてくれることになった。布団が1組しかなかったので、恥ずかしかったが、2人で一緒に寝たのだが、入試の最中ということもあり、不思議とスケベな気持ちはなかった。母親が家に帰る2日前には第2希望の大学に合格したことがわかり、第1希望の大学の入試も無事終わった。その晩、入試が全部終わったので、ホッとしたせいと、隣に母親が寝ているせいか、中々寝つかれなかった。母親が僕のアパートに来てからオナニーもできなかったので、僕のアソコがガチガチに勃起しているのが分かった。悪戯心が芽生えたのである。「お母さん」と3度程呼んでみたが起きない。かなり迷ったが、恐る恐る母のアソコをパジャマの上から触ってみたが、起きない。いけないと分かっていたが、母が起きないので、パジャマの中に手を入れパンティの上から触ってみた。陰毛の感触がわかり凄く興奮した。叔父がいつも舐めているところだと思うと余計に興奮した。我慢できずにパンティの中に手を入れようとした時、母が目を覚ました。母からきつく叱られた後、僕はつい「お母さんだって、叔父さんといつも居間でエッチなことしていたじゃないか」と言い返してしまった。僕は「僕はまだ童貞で女性の体を知らない。大学に入って彼女ができた時、どうしていいのかわからないのは恥ずかしい。お母さんに教えてほしい」と言った。母は「もうお母さんは若くないけどいいの?若い女の子みたいなきれいな体ではないの。それでもいいの?」と聞いてきた。その時母は46才、身長が160センチ位あり、見た目には30代後半のようだった。僕は「お母さんじゃないといやだ」といったところ、母は自分から裸になり、「あなたも脱ぎなさい」といって僕を裸にした。初めての時は母の中に入れる前に射精してしまった。結局朝まで3回くらいセックスをした。その時、母から叔父とのことを聞き出した。最初に母が叔父と関係を持ったのは、叔父が大学1年で母が33才の時だったようだ。叔父が大学受験をする時、祖父母と僕の父は大反対をし、母だけが叔父の味方をした。結局叔父は難関の大学に合格したのだが、祖父母と父は学費を出すだけで生活費の面倒はせず、母が 貯金を崩して叔父の生活費を少しばかり工面し、アパートを時々訪ねて栄養のある料理を作ってやったりしている時に、関係ができてしまったとのことである。これまで叔父の子供を2度中絶したことがあることも、その時はじめて聞いた。驚いたことに僕が中学2年の時に母が産んだ妹は叔父の子供だということであった。確かに僕や弟にくらべて叔父に似て凄く頭も良いし、顔も叔父に似ている。その後、僕と母は大学時代何度も関係を持ったが、就職をしてからは彼女がいたせいもあり、ほとんどしなくなった。ただ、母と叔父の関係はずっと続いていたようである。先日、母が体調を崩し入院した。土曜日の夕方に1人でお見舞いに言った時、同室の他の患者さんは週末外泊で母1人きりだけであったので、ふざけて母のおっぱいを触ってみた。前のような張りは全然なくなっていた。叔父とのことを聞いたら、今も年に数回会って関係を持っていると恥ずかしそうに言っていた。父のことは結婚した時から愛していなくて、叔父のことを愛しているとはっきり言った。母と叔父は、叔父の下の子供が大学を出て就職をしたら、ともに離婚をして、2人で暮らす計画をたてていると嬉しそうに話していた。