昭和23年頃の話になるが、私が9歳頃だったと記憶している。父親はすでに満州で戦死していなかった。そのころは母と父方の祖父母と7歳の弟の5人で田舎で暮らしていた。、祖父は病気でほとんど寝たきりで、生計は母と祖母が農業をしながら豚を5,6匹飼って、細々と暮らしていた。そのころは満足な残飯もなかなか手に入らず、豚の餌を確保するのに苦労していた記憶がある。時々、夜の8時頃に、汚い身なりの三人の男の人が残飯をトラックで持ってきてくれた。大きな瓶に入れ、それを豚小屋まで運んでくれた。そして夜の10時頃になると帰っていった。ある時、私が「僕も手伝う」と言ったら、祖母は「行っちゃいけん、いくでねえ。一郎は早く風呂入って寝ろ」と激しく止めた。そんなに止められると行きたくなるもんで、ある時、風呂を入ってから、そっと豚小屋の隣の農機具小屋に近づいて行った。そして、薄暗く裸電球がついている小屋の中をそっと覗いてみた。そこには真っ裸の母親と母に絡みつく3人の裸の男が目に入ってきた。50位の禿頭の男が母のオマンコを口でなめていた。その禿げ頭が母の股ぐらで上下する度に母はあえぎ声を漏らし芋虫の様に体をくねらせていた。やがてもう一人の30歳位の男が珍棒を取り出し母に銜えさせ、もう一人の若い男はそばで黙って見ながらセンズリをかいていた。やがて男たちは順番に母と交わり、最後に一番若い男が母と正常位で交わりながらゆっくりと母を騎乗位の体位にして、さらに母をうつぶせにして、禿頭が母の後ろから尻の穴に入れ様としたとき、母は「そこは堪忍して・・・」と言ったが、あっという間に入れられ、母は狂ったように喘いでいた。私はその場で初めてマスターベーションと言うものを自然に覚えた。何回マスターベーションをしたかはっきり覚えていないが、自分の布団の中に入ってからも何回となくかきつづけていた記憶がある。母は体を張って俺たちを育ててくれた。またそれを知っていた祖母もつらかっただろうと思う。その母も3年前に逝ってしまった。