オマンコを広げたままにしたいという私の隠れた願望は、やはり親父から受けた幼児体験にあるようなのす。
それは、お風呂で見た毛の無いお袋のオマンコの印象と同じで、小学4年のことでした。
障子の向こうで親父とお袋が何かをやっていて、うめき声が聞こえて、不安で仕方がありませんでした。今にしてみれば、お袋のヨガリ声だったのですが、私は怖かったという印象があります。
親父は私が寝たふりをして聞いていることを知っていたのだと思います。小学5年になって、そのうめき声を聞きながら、布団の中でセンズリをするのが日課になってしまい、慢性的な寝不足でした。その頃から、親父は途中でトイレに行き、返って来ると障子を少し開けたまま、豆電球を点けて二回戦目を始めます。
障子を開けたまま親父がトイレに行った後を覗いてみたら、お袋はオマンコに牛乳瓶ぐらいの太さのガラスの筒を入れられて、それを上に向けて、手足を縛られていました。
その時お袋と目が合ってしまったのですが、うつろでした。
それから時々、夫婦のいとなみを覗くようになり、そのガラスの筒の使い道がわかったのですが、それは、お袋のオマンコを湯のみ茶碗がわりにする物でした。
親父は酒が飲めないので、たぶんお湯だったと思うのですが、そこに注ぎ、クリトリスの方から啜っていました。そのときお袋は、肩の辺りに枕をおいて、親父のオチンチンを根元までくわえ込み苦しそうにしていました。
お袋は私を出産したときの後遺症で、卵巣も子宮も有りませんでしたから、オマンコは夫婦の快楽の為だけの用途に使われ、コンドームなどを使わない時代でしたから、中出しした後始末をお風呂でホースを入れて、水洗いしていました。
過激に夜を過ごした翌日は、親父もお袋も機嫌が良く、私が寝坊をしていても怒られなかったので、布団の中からの鑑賞はしばらく続きました。
そんな環境で育った子供は、すぐにレイプ騒ぎを起こしそうですが、こういうことは、夫婦で内緒にやることというような感覚があり、早く結婚して、それから女を自由にしたいと思っていました。