うちの家は農家だったがそれだけでは現金収入がないので
父は保線工夫として働いていた。朝早く暗いうちに出てゆ
くか、夕方出てゆくかだった。田畑は祖母と母がやってい
て農繁期だけ父が加勢するという具合だった。
小学校の低学年のある日、学校から帰ってみると祖母が土
間におり、父母の具合が悪くて寝ているからおまえは外で
遊んでおいでと言われて五十円を握らせてくれた。
当時の五十円は今のいくらになるか?とにかく正月にもら
える小遣いぐらいで舞い上がったわたしは親の病気なんか
忘れて近所の商店でニッキ飴や偽物チョコを買いあさって
夕飯時になって家へ帰った記憶がある。
父母の顔をみて何ともないので変だなと思ったりもしたが
仏間にいつも敷いてない布団が敷いてあって父母の枕が、
もう少し大きくなって、、、疑問解消、、、した。
仕事が不規則でなかなか夫婦生活が出来ない父母のために
祖母が公認で昼間子づくりオマンコをさせていたのだ。
当時姉とわたしとふたりだけで家ではもう一人男子がほし
かったらしい。母が当時35歳くらいだったからあせって
いたのかも。
玄関の土間で祖母が見張りをしていて奥の仏間で,父は
夜勤明けにひとねむりをしたあと、母とズボズボやって
いたのだ。祖母は当時家中で絶対的な権限をもっていたか
ら、妊娠可能な時期を選んで母に「マサルの仕事をやすま
せるわけにはいかないから、昼間マサルに種付けしてもら
え!」と命令したらしい。
結局種付けは成功せず、子供は姉とわたしだけだった。