父(当時38歳)が亡くなった直後を除き、葬儀が終わるまで、母が
人前で号泣するような事はなかった。
当時母は35歳。葬儀を無事に終わらせる事だけで精いっぱい
だったに違いない。
葬儀が終わった晩、母は俺と妹を寝かせた後、叔父(父の弟)
の横で号泣していた。伯父は父が亡くなってからずっと母の事
を助けてくれた。叔父はその後も事あるごとに我が家まで2時間
かけて来てくれた。
その後も、母が人前で泣くのは唯一、伯父の前だけだったと思う。
あれは、父の3回忌の法要が終わった晩の事だった。
父の実家に近いお寺で法要を済ませ、親戚と食事をしたりして
すべてが終了した時はすでに午後8時を回っていた。
電車で帰ろうとしていた我々家族を、叔父は車で送ってくれた。
高速道路で渋滞にはまり、家についたのは11時を回っていた。
叔父はすぐに戻ると言ったのだが、危ないから少し休むように
母が引き止めた。
当時、10歳の俺と7歳の妹はすぐに風呂に入り布団に入った。
夜中の12時半頃、俺は喉が渇いて目が覚めた。
隣に母の姿は無かった。隣の部屋から物音が聞こえた、いや
母の泣き声のようだった。もしかして、まだ叔父さんいるのか?
そう思った俺はそっと戸をあけて隣の部屋をのぞいた。
・・・・・・・・
母は悲しくて泣いているのではなかった。気持ち良くてよがり
声を上げていたのだ。
”え~ん、え~ん、あんっ!あんっ!”
喪服姿のまま、仰向けになった叔父の上にまたがり、腰を振る母!
スカートの裾をまくり上げ、激しく腰を振る母!”
少し垂れぎみの乳も前後に揺れていた。
”いやぁっ・・もっと、もっとして、いいの、オマン❤いいの・・やぁぁん”
”姉さん、いっ、いきそうだ!”
だっ、だめっ!!もっとして、いっぱいオマン❤して、いかないで・・
はぁ・・はぁ”
”オマン❤いいっ!・・いやっ!あっあっ・・私もいきそうっ!”
”出して、中に出して!いっぱい、いっぱい出して!”
イッちゃうっ・・・・・あん・・・・・”
朝起きると叔父の姿はありませんでした。
それからも叔父は何かと私達家族の事を面倒見てくれています。
母と叔父は二人きりでいると仲の良い夫婦のようです。
あれから10年、その後、母と叔父の関係を見る機会が数回ありました。
なぜか、いつも母は服を着たままで騎乗位の体位で腰を振っていました。
でも俺が中学に入った頃からピタリと見る機会が無くなりました。
たぶんどこかでヤッテいるとおもいます。(今でも)
ちなみに、47歳になった母、45歳になった叔父も結婚していません。