中学校の部活から帰ったら家に担任の先生が居て「来月から君の家に間借り
する」と言われたら、誰だって絶望的な気分になるだろう。自宅離れの一部
屋に担任教師が住むようになったのは、私が中学校に入学した年の夏休み前
だった。先生が、学校に隣接する教員住宅から拙宅に越してきた理由は未だ
に分からない。「息子がお世話になっている事だし、かと言って無料では遠
慮されてしまうから、お食事代だけ頂くことにしたわ」と母が父に言ったの
を、私は覚えている。かくして、私に取って「最悪の事態」が起こってしま
った。
当時の母は41才で、担任の先生はまだ20代の後半だった。食事が家族と一緒
だと先生が気兼ねするからとの理由で、夕食は母が離れに運んでいた。そし
て、気が付いたらいつの間にか、母は先生の部屋に頻繁に出入りする様にな
っていた。やがて、父は勤務先の工場で生産管理部門の課長になり、夜勤が
多くなる。そして、その頃の母は先生との親密度が増して、先生の部屋を昼
間に掃除する迄になっていた。「先生 今度からお洗濯もしてあげますわ。
洗濯物はまとめて置いて下さい」と母が言うと、先生は遠慮しなかった。
私が初めて母の自慰を見たのはこの頃である。そして「その事」に気がつい
た私は、何度も母の孤独な行為を目撃した。私は、母の性欲に愕然とさせら
れた。
目撃した何度目かの母の自慰。母はスカートをたくしあげて陰部を弄って
いた。片手で先生の下着を持って、その匂いを嗅いでいた。先生の精液がこ
びり付いた下着を顔に押し当てて、母は快感を貪った。自慰が佳境に入ると、
母は先生の名を呼んだ。「せんせー せんせー 我慢できないょー」「すけ
べー すけべー こんな事してー」そして母は、血相を変えて階段を下りる
と、先生が居る部屋に飛び込んでしまった。
その時、私は呆然として母を見送った。おそらくその時、母には私の姿は見
えなかったと思われる。