たしか売春防止法が施行されたのは昭和36年くらいだったと記憶しているが、、、それまでは全く
おおっぴらというわけでないにしろ、例えば温泉旅館に泊まって番頭さんや仲居さんになにがしか
を握らせれば、旅館の部屋で女性と合意の上でオマンコをすることができたわけである。
教師も人の子で憂さを晴らす場所や時間があるからこそ日頃の勤めも全う出来た部分があったので
ある。学期が終わり、夏休みが始まったら恒例の親睦を兼ねた職員旅行があるのがその頃の通例で
あった。しかし日頃は品行方正を心がける職業故温泉場に着いても番頭さんや仲居さんへその手の
交渉をするのが苦手な仲間に頼まれて気のいい父が交渉委員を買って出て、女性の手配からナニす
る部屋の部屋割りまでやるのが父の役割であったらしい。当時は玄人筋とのオマンコは男の遊びと
され家庭を破壊するものでないから浮気とは見なされなかった風潮があった。そんな中で浮いてし
まっているのが気弱なA先生で困った父がむりやり押し込んだのが現在の奥さんの部屋であったそ
うな、、、たぶん「おい、すまんがAを一晩ここにおいてやってくれないか?ねっ、頼むよ、悪い
ようにはしないからさ、」
奥さんもAさんなら、、、大丈夫?と思ったか?一夜の宿を共に、、、、しかし、二人っきりの夜
中になればA先生もおとなのチンボをもつ立派な男、湯上がりの浴衣姿の色っぽい後家さんの姿態
にに我慢が出来ず、どちらが言い出したのか、許したのか?いつの間にか一つふとんに二つ枕、夜
が白む頃には五歳上の後家さん先生の指導のもと溜まりに溜まった日頃の憂さを彼女の熱い股間に
十二分に晴らしたとか、いや、後家さん先生こそ純情なA先生の突きまくりに股間に青春の復活を
感じたとか、とにかくその一年後、父が仲に立って、、収まるところへ収まったとか。たぶん父の
ことだから、それをタネにふたりにハメハメ写真を迫ったのではなかろうか、それともひょっとし
たら父母のハメハメ写真はA先生に撮らせ、A先生夫婦のハメているのは父が撮ったのかも、、。
なにしろ、双方とも夫婦ぐるみのつきあいなのだから、、ある日、ある晩、二組の夫婦が二間続き
の部屋を借り切ってお互いの愛の交歓を心許した友に撮ってもらったのが正解なのかもしれない。
売春防止法施行から何十年、いまやそんな破天荒な行動も許されず、昭和四十何年成立の田中角栄
内閣肝いりの教職員給与の大幅アップにより、日教組は壊滅状態に、、、そして教師の仲間意識の
希薄化がドンドン進み、今やそんな話も誰も信じなくなった。