父が十年前に死んで母が一人になったので妻と帰郷して暮らし始めた。父は地元の学校の教師をし
ていたが辞めてからは趣味の写真と山登りと読書三昧の日々だったようだ。その残された遺品の処
分に追われる日々が続いていたある日納戸のタンスの引き出しからとんでもないものを発見した。
それはくすんだ茶色の表紙の写真帳で今まで見たことが無いものだった。
最初に目に飛び込んだのは父母の記念写真、といっても、母が全裸で臨月のお腹を抱え、椅子に腰
掛けていて、その傍らに同じく父が全裸で勃起した陰茎を晒したまま、真面目な顔をして収まって
いるのだ。めくってみると昭和◯◯年十一月と書いてある。私が生まれる一ヶ月前、母の破裂しそ
うな腹の中には私が居るのだ。背景を見ると昔住んでいた家の縁側の突き当たりである。たぶんこ
こなら明るいしあたたかいので写真を撮るのに都合がよかったのだろう。
なんで、こんなものを撮ったのだろう?と思ってページをめくると次ぎには母の全裸写真のオンパ
レードが続く。敷き布団の上で四つん這いになり、股間を拡げ、オマンコ丸出し、ケツのアナまで
見せてカメラに向かって微笑んでいる。そんな写真が何枚も何枚も貼ってある。めくってみると父
母が結婚して2年目くらいのものばかりである。たぶんその頃当時高価だった写真機が手に入った
のだろう。いずれも茶色く変色しているが写っている母は二十代のあふれる若さにあふれ今の女性
とちがってスタイルはよくないけど、張り切った臀部にも艶めいた陰毛にも見ただけで男の股間を
硬くさせてしまう魅力に満ちあふれている。たぶん父の頭の中には写真機を買ったら何を置いても
写したいものは毎夜毎夜父を虜にしてやまない母の肉体を写真に収めておくことだったのに違いな
い。
父が椅子に座り、母が其の上に向かい合ってまたがり、母の臀部を父が抱え上げている体位のもの
があった。母はしっかり父に抱きついている。母の股ぐらには逞しい陰茎が突き刺さっている。こ
れなぞ、どうやって撮ったのだろう。当時の旧式のカメラでもセルフタイマーはついていたから写
すことはできたんだろうが、カメラをセットしてあわてて椅子に座り母をまたがらせ、チンボをオ
マンコに挿入し、臀部を両手で抱える。ってかなり慌ただしいよなあとか思ってみる。
それか母が写真機をセット、とも思ったが昔から機械類はからきしダメな母がするわけがないと心
の中で否定してみたり納戸の中で考えてみるうちに、たぶん、結合したまま、セットして、抱きか
かえて椅子まで移動したんじゃないかと、しっかし、よくやったもんだと笑えてくる。
やっているうちにチンボが萎えてしまいそうだが、それが二十四時間発情しているアツアツの新婚
父母には可能だったのだろう。