夕方になると、医者の先生は紺色の「自家用車」で帰宅した。その車は、自
動車の販売店を経営していた父から買った紺色の乗用車である。ルノーとい
う車名を聞いた事があるので、先生の車は、「日野ルノー」だったのだと思
う。
先生が帰ると、母は鏡台の前で、乱れた化粧と髪を整えた。母は、家事用の
「もんぺ」姿になって、バケツで風呂の水汲みをを始めた。この頃の主婦
は、常にきつい家事労働をしなければならなかった。父が家に帰ると、いつ
ものように母は、玄関に正座して父を迎えた。この時の母は、再び着物姿に
戻っていた。母は、家事用の服を着て父の帰宅を迎える事など、絶対にしな
かったのである。
「**君もお出迎えしてくれたのか。偉いぞ」と、父は私を褒めてくれた。
当時の私は、この時間帯に限り、布団から出て起きている事が許されてい
た。「お迎えが出来るくらい元気になったら、来年は幼稚園に行けるから
ね」「もうすぐ外でも遊べるようになるから、お母さんの言う事をよく聞い
て、病気を治しなさい」と、父は私を励ましてくれた。しかし、直ぐに就寝
時間の7時になって、私は寝かされてしまう。
「あなた・ごめんなさいね・今日は先生がお帰りになるのが遅かったので、
お買い物が出来ませんでしたの」と、母は父に言った。「仕方がないので、
あり合わせの野菜を天ぷらにしましたわ」と、母はサツマイモやタマネギの
天ぷらを食卓に運んだ。「**ちゃんには、玉子のお粥を食べさせました
わ」と母が言う。「父は何も言わずに天ぷらを上手そうに食べて、ご飯をお
代わりした」食卓は私が寝ていた部屋の隣なので、二人の会話は聞こえてい
たのである。
寝る間際になると、「あなた、ごめんなさい・わたし、今日は疲れてしまい
ました」と母は父に言った。「どうか今日はお一人でお休みになってくださ
い」「私は**ちゃんと一緒に寝てあげますわ」・・そして、父は言われる
ままに、夫婦の寝室に一人で入った。
「母が部屋に入ってくると、私の小さい布団の隣に自分の布団を敷いた」
「ごめんなさいね、今日はお母さんは疲れてしまって、だっこしてあげられ
ないわ」「甘納豆を、おめざに置いておきますから、おとなしく寝てちょう
だいね」と、母が言う。「おめざ」というのは、枕元に置いた菓子包みの事
である。やがて母が布団に入ると、すぐに母の息は震え始めた。
その夜の自慰の激しさを、私は忘れられない。赤っぽい豆電球の明かりの下
で、母の肉体は狂ったようにうねり続けた。いつもは私の様子を伺いなが
ら、そっと手を股間に這わせる母なのだが、その夜の母は、布団に入るなり
淫部を弄り始めた。「はあ~っ はあ~っ」と息遣いを荒げた母は、激しく
全身をくねらせた。やがて「う~っ」と唸り声を発した母は、籾殻枕を布団
の中に入れると、頬を敷き布団に埋める様にして俯せになった。
枕を股間に挟むと、母は激しく腰を動かし始めた。母の掛け布団は腰の部分
が大きく上下した。母の手が籾殻枕を下から押さえていたのを、私は布団の
隙間からはっきり見てしまった。母は股間を枕に擦りつけるように、腰をく
ねくねと動かしては、啜り泣く様な声を漏らした。見ると、母の顔には玉の
汗が浮かんでいた。
やがて母の顔がこちらを向いた。母は目をきつく閉じている。母の顔は充血
して真っ赤である。顔の下の敷布は、漏らした母の唾液で染みになってい
た。
母は、額から鼻筋にかけて深い皺を寄せて、激しく喘いでいた。固い籾殻枕
を股間に挟んでの擦りつけ自慰は、指による自慰より動作が大きい。呼吸も
極端に荒くなるので、母の姿は淫を極めた。顔に汗を浮かせて、母は腰を動
かし続ける。「ああっ~ああっ~ああっ~」と、母は腰の動きに合わせて声
を漏らす。母は息も絶え絶えになりながら腰をくねらせ続けた。
季節は初夏である・母は一心不乱に、汗まみれで腰を動かした。そして遂
に、母は自身の行為による発熱に耐えられなくなる。母は掛け布団を押しの
けると、浴衣の腰紐に手を伸ばして、それを解いてしまう。そして再び枕を
股間に挟むと、激しく腰を動かし始めた。
目を凝らすと、母は顎を敷き布団に埋めて、夢中で腰を動かしていた。分厚
い母の尻がくねくねと上下した。その尻は、またしても黒いショーツに包ま
れていて、淫の部分はぐりぐりと籾殻枕に擦りつけられている。「ああっ~
ああっ~ああっ~ああっ」とリズミカルに声を出す母。そして、時折「うぐ
~っ」と母は呻き声を出す。この時私は、母の体臭を強烈に感じた。自慰に
狂う37歳の女が出す体臭は、言いようも無く生臭かった。
著しく体力を消耗する俯せの擦りつけ自慰。これを母は、驚く程に長く持続
させた。しかし、遂に母の体力にも限界が来る。母は「う~っ」と深く呻い
たかと思うと、ガクッと身体を落として、布団の上で動かなくなった。母の
股間には、挟みつけられた籾殻枕が、きっちりと食い込んでいた。
しかし、事はこれで終わらなかった。母は、一瞬の後に仰向けとなり、膝を
持ち上げるように折り曲げた。そして、あっという間に黒いショーツを脱い
でしまった。そして、指を淫部に這わせると、濃い陰毛に埋もれた部分をリ
ズミカルに擦り始めたのである。そして母は、魘されたような声を出して悶
え始めたのである。
この日の記憶はここまでである。私は、いつの間にか寝てしまったらしい。
翌朝に目が覚めると、既に部屋には母の姿は無かった。
その後の母は、医者の先生と淫の限りを貪り尽くしたに違いないが、何故
か、私の記憶からその部分が欠落している。おそらくは、私が母の行為に興
味を失ったのが忘却の原因かと思われる。また、その頃は私が患っていた胸
の病は快方に向かい、限られた時間ではあっても、私は庭で遊ぶ事を許され
るようになっていた。もしかして私は、行為の間中は外で遊ばされていたの
かも知れないのである。
そして、その年の夏の事である。私達家族は、医者の先生が所有する別荘に
招待された。その頃の私は、既に車での旅行に耐えられる位に、体力が回復
していたのである。
出発したのは午後だったと思う。車は先生の「日野ルノー」だった。同行し
たのは私達家族と、医者の先生と先生の奥様だった。
今と違って高速道路などは無くて、車での移動はかなりの時間が掛かった。
私達が峠の麓にある店で夕食を済ませると、あたりは既に暗かった。
これから先は九十九折りで未舗装の峠道なので、運転に自信がある自動車商
の父が、運転席に座った。父の隣は先生の奥様である。
走り出すとすぐに、辺りは漆黒の闇に包まれた。父がハンドルを切る度に、
ヘッドライトの明かりは山側の樹林を照らした。光が樹林を舐めるように流
れるのを、私は窓際の席で眺めていた。隣には母が座っている。母は、車が
カーブする度に、身体を右に左にと揺らしていた。前を見ると、先生の奥さ
んは掴まり具を強く握って身体を支えていた。父は前を向いて注意深く運転
していた。
車内にはルノーのエンジン音と振動が伝わっていた。会話も小声では聞き取
れない。峠道が急勾配になると、エンジン音はさらに大きくなった。そし
て、母の様子に異変が表れる。
母が、「うう~っ」という呻き声を漏らしたのである。やがて母が「うう~
っ うう~っ」と、連続した呻き声を漏らした時、医者の先生は父に向かっ
て「ラジオを点けてください、野球中継を聞かせてください」と大声で言っ
た。狭い車内では騒音が酷いので、大きな声でないと、会話も出来なかった
のである。
父がラジオのスイッチを入れると、電波状態が悪いせいで、雑音が酷かっ
た。
しかし、かろうじて聞き取る事が出来たので、父はラジオを点けたままにし
た。助手席に座っていた先生の奥様が「あなたは、こんな所でも野球中継を
聞きたいのですか」と、呆れた口調で言ったのを、私は覚えている。
やがて母は、顔をこちらに向けて倒し込んだ。母の吐息が私の頬に降りかか
る。母の息遣いは微妙に弾んでいた。母の顔が私の耳に接近すると、母の声
が、はっきりと聞こえるようになった。母は、小刻みに息を震わせている。
そして、窮屈な後部座席の真ん中で、身を捩るような動作を繰り返した。
外は漆黒の闇だった。窓の外を見ても、少し開いた窓ガラスに映る自分の顔
しか見えない。この時代の峠道は未舗装で、道路照明など、まるで無かっ
た。
カーブでヘッドライトが山側の樹林を照らす時、その反射光が一瞬だけ車内
に入る。その時私には、こちらに向けた母の顔が見えた。その顔が、何かに
耐えるような感じで辛そうに見えたのを、私は覚えている。
やがて、ブラインドになったカーブの向こうから、対向車が現れる。対向車
のライトで車内が照らされると、母は突然に顔を伏せた。母は両手を股間部
分に置いて、何かを隠そうとした。しかし私は、母が穿いているスラックス
の股間部分が盛り上がっているのを、しっかりと見てしまう。腰の左側にあ
るサイドジッパーの所から、先生の手が、母のスラックスに侵入していたの
である。
対向車がすれ違うと、母は顔を起こしてルームミラーの方を見た。父は危険
な峠道の運転に集中していた。隣に座っている先生の奥様は、車体の揺れが
激しいので、後ろを振り向く余裕など無かった。先生の手が母のスラックス
の中で再び動き始めると「ああっ~ああっ~あああっ」と、母は、か細い震
え声を漏らして身悶えした。
母の胸は激しく上下して、腰はピクピクと痙攣した。先生は、母の耳に絶え
ず何かを囁き続ける。母はその言葉に激しく反応して身を捩らせた。そして
遂に母は、閉じていた股間を開いてしまう。母は、背中を仰け反らせるよう
にして、目を閉じでしまったのである。
母がどんなに悶えたくても、狭い車の後部座席である。この時の母は拘束さ
れたに等しかった。前には父と先生の奥様がいる。しかも、先生の指は絶え
間なく母の性器を刺激し続けた。そして、母の耳元では、卑猥な言葉を囁か
れ続けたに違いない。母が穿いているスラックスの股間部分は、リズミカル
に震えている。そして、母は間断なく声を漏らし続けた。
母の声は前座席に居る二人には聞こえていない。そして、先生の指責めは止
む事がなかった。非力な日野ルノーに5人も乗車して急勾配を登っているの
で、エンジン音が凄まじい。しかも、野球中継のラジオまで点けているの
で、母の淫声は、隣に密着している私と先生にしか聞こえていない筈だっ
た。
しかし、このような環境で強制される性的快感は、ある意味では拷問に近
い。母は思い切った声も出せない、大きく悶える事も出来ない。快感で背中
を仰け反らせても、腰をづらそうとすると、膝が背もたれに当たってしま
う。結局母は、前後左右を押し込まれた状態で、快感に耐えなければならな
かった。こんな状態の中で、母の淫らな性器は、先生の好色な指に翻弄され
た。
先生を見ると、先生は正面を向いて目をつぶって、ナイター中継に聞き入っ
ている振りをしていた。しかし、見ると先生の股間は大きく膨らんでいたの
である。そして先生は、母の性器を弄る指先の動きを加速させた。
忽ちに母は悶え始めた。「ああっ~あああっ~ああっ」と、母は間断なく声
を漏らしている。そして、母の喘ぎが次第に大きくなってきた。「う~ん
あああっ~」と、母は呻き声を押し殺す。母の腰は、前後左右に動こうとす
る。しかし、座席の狭さに阻まれて動けない。母は遂に泣き顔になった。
激しく仰け反る事も、腰を持ち上げる事も出来ない母は、快感が強くなる
と、逆に身を前に折り曲げて息張った。そうする事で快感に耐えようとし
た。そして母は、身体を緊張させて「う~っ」と呻き声を漏らしたのであ
る。
そして・・・その時である。先生が再び母に何か囁くと、母は激しく狼狽え
た顔になった。しかし、先生は母の手を取って、その手を自らの股間に導い
てしまう。そして、母はされるがままだった。抵抗すると前にいる二人に気
付かれるので、母には為す術が無かった。
やがて母は、背もたれから背中を離して、身体を前に強く屈めた姿勢にな
る。そして、この姿勢こそが快感に耐える最上の姿勢だと、母はこの時に気
が付いた様だった。狭い後部座席では、仰け反って快感を味わう事など出来
ないのである。
母は呻き続けた、前屈した姿勢のままで、時折激しく身を震わせた。母は
「うぐ~っ うぐ~っ」と呻きを漏らして身体を痙攣させた。おそらくはこ
の時、母は絶頂を味わっていたに違いないと、私には思える。