今から30年ぐらい前の話です。
当時私は小学4年生で、すでに性に目覚め両親の寝室に潜り込むのが
最大の楽しみでした。
家に誰も居ないのを確認して、両親の寝室にはいります。
最初にゴミ箱漁りをしました。3日に一度ぐらいの割合でやっていたので
しょうね。使用済みのコンドーム、精液を始末したティッシュなどをよく
見つけましたが、月に何日間かは、血が付いた使用済みのコンドーム、
血の付いたティッシュ、血を吸収したナプキン、穴があいたパンツなど、
またある時は、精液と血が混じったティッシュを湿った状態で見つけた
事も。
この様に父はオマンコ大好きらしく、母が生理日でもヤリまくっていた
ようで、もしかすると生理と聞くだけで興奮するのは、父親譲りなのだ
と思います。
ゴミ箱の脇には、エロ本が数冊置いてあり、それにも血が付着していま
した。それをいつ見つかるかドキドキしながら読むのがまた最高でした。
扉付きのカラーボックスがあり、扉を開けるとナプキンが何十個
も入った大きなナイロン袋が。それにも血の付いた指で触ったのであろ
う指紋の後が付着していました。その脇には白い綿のパンツにナイロン
のパンティーが畳んで置いてありました。白いパンツにはクロッチの
部分は元より、所々に何度洗っても落ちない茶色い血の染みがありました。
パンティーはパンツ以上にクロッチの部分全体がが酷く茶色の染みが付着
していた。
朝急いでいたのでしょうか、脱ぎ捨てたままのパンツが入っていたので
クロッチの部分の臭いを嗅ぐと、尿や蒸れた臭いが。
押入の上の戸を開けると、コンドームの箱が3個見つかり、一つ拝借し
て自分の竿に装着して楽しみました。
下の戸には、血だらけのシーツが丸めて入ってました。
夜は母より遅く風呂に入ると、バケツにパンツが浸してあり、それを
摘み上げて履き、亀頭の部分がマンコの部分に当たるようにして履いて
喜んでいました。
生理が始まると、クロッチの部分を中心に血まみれのパンツやパンティー
が浸してあり、マンコの当たる部分に亀頭をあてがい、扱いてその部分に
出しました。
最初こそ水洗いして後始末したのですが、それ以後はそのまま戻して置い
ても、クロッチに開いていた穴を、竿で破っても母は何も言わなかったの
です。
それから大胆になり、生理の血で汚れたパンティーを発見すると、持ち去
りそれを履いて過ごしました。ナプキンも持ち去り、亀頭をマンコがあた
っていた部分に押し付け血だらけにして興奮し、それから竿全体を包んで
扱いて、最後はマンコが当たる部分に射精しました。
生理の血で竿全体が真っ赤に染まるのを見ると、非常に興奮しましたし、
生理中のマンコに生で竿ぶち込める父が非常に羨ましかった。
ある朝食の時、父は母に向かって「昨夜は飽きるほど、太竿下の口に食わ
してやったがまだ食い足りないだろ。今晩もたらふく食わせてやるぞ」
と、ニンニクをたらふく漬けたお刺身を食べながら、スケベ笑いを浮かべ
下から母の顔をのぞき込み、最後は私を見てさらにスケベ笑いを。
(今思うと、母は父に朝昼晩、体力勝負の農作業だからなどと言って、沢山
ニンニク料理を食べさせていましたね)
コタツの掛け布団を利用して、母股に手を伸ばしマンコ弄りを。私が戸を
開けると慌てて手を引っ込めるのですが、はっきりばれます。
生理が無くなって私も父も楽しみが減りましたが、父は母が死ぬ寸前まで
マンコ弄りをして母を喘がせ楽しむことでしょう。
母も弄られたくて、自分から股開いて気持ちよくなっている様です。