私が10歳のとき、父が癌で亡くなりました。とても優しい父でした。
そのとき母は33歳。「早智子、二人で仲良く暮らそうね。」
母は、そういって私を優しく抱いてくれました。でも、母は悲しんでなんか
居られず、すぐに仕事を見つけ働きに出ました。
しかし、その半年後、母に恋人が出来たのです。
彼が我が家に来ると、母は私に、
「これで2時間くらい外で遊んでおいで。」と言って千円をくれるのです。
私が2時間くらいしてから家に帰ると、母は身支度をしながら寝室から出て
くるところで、まだ胸のボタンははずされ乳房が見えていました。
そして、母のベッドには裸の彼が寝ながらタバコを吸っていました。
そんなことがしばらく続くと、彼が突然事故で死んでしまいました。
母は彼と結婚の約束をしていて、1ヵ月後には、彼の両親と会う約束だった
そうです。「早智子、お母さん、男運がないね。」母はそう言って笑ってい
ましたが、目には涙を溜めていました。
でも、その3ヵ月後には新しい恋人を作っていました。
彼は32歳、母よりも2つ若く、父親と二人で暮らしていました。
彼もまた我が家に来たときは、私が外に追い出され、母は彼に抱かれていま
した。夜などは時々彼が泊まっていくこともあり、私は部屋へ行かされ、母
は彼とお風呂に入ったりしていました。
「いや、何処触ってるの。まだ早智子が起きているわ。もうこんなに大きく
しちゃって、お楽しみは後で、、」と、母の甘えた声が聞こえてきたり、夜
中には、「ああ、大きなのが入ってきた。もっと、もっと突いて、ああ、い
い、いいわ、」などと母の喘ぎ声で目を覚ますこともありました。
そして半年後二人は結婚をし、私には新しい父が出来たのです。
私と母は、義父の家に引っ越しました。そこには祖父(義父の父)もいて、
4人の暮らしが始まったのです。
祖父は1階の部屋に住んでいて、私は2階の部屋を貰いました。
そして、母と義父は私の隣の部屋で寝ることに、、
最初の頃は母も下の祖父に気を使って声を抑えたセックスをしていました
が、3ヶ月もすると、「ああ、いい、またいく、いく、いく、、、」と、大
きな喘ぎ声を上げるようになったのです。
でも、そんな義父も突然の病に倒れ、結婚後半年で亡くなってしまいまし
た。当時は母36歳、私が13歳のときです。
あれから5年が経ち、私は大学に通っています。母は、義父が死んだ後、祖
父(義父の父、58歳)の面倒を見るため、まだ義父の姓を名乗っていま
す。
今では母も祖父の部屋で寝起きするようになり、着替えも祖父の部屋で、だ
からめったに2階には上がってきません。そして、毎晩二人でお風呂に入
り、1階の祖父の部屋から、「ああ、いい、お義父さん、もっと、もっと突
いて、ああ、いいわ」と、母の大きな声が響ています。母は、男運がない
分、セックス運だけはあるようです。
追伸、、あっ、それから、この秋には私の弟か妹が出来るみたいで、祖父の
部屋を改装し、大きなベッドを入れお風呂も大きくするようです。