昭和時代の母の思い出を書きます。
母は中学校の教師。私鉄郊外線を利用して都心の学校まで通勤していまし
た。私は母と同じ電車で都内の私立中学校に通う生徒でした。その頃の母の年
齢は30代の後半で、今にして思うと、母の容姿からは女盛りの色気が溢れてい
ました。そんな母が、電車の中で毎日のように痴漢されていたのです。そし
て、母には気が付かない振りをしていたけど、私は母の秘密を毎日見ていたの
です。以下に通勤電車内での母を晒します
母は痴漢されていました。気付かぬふりして盗み見る母の下半身には、いつも
男の指が這い回っていました。そして、母がそれを嫌がっていない事も、私に
はわかっていました。捲れ上がる母のスカート。スカート中に入る男の指。そ
の指を受け入れる母の下半身。乗る車両を変えても必ず触られる母は
痴漢の虜です。
私と母が一緒に電車に乗り始めた頃は、母は触ってくる男の手を嫌っていまし
た。ハンドバックでブロックしたりしていました。そんな母が痴漢の指を待ち
わびる女になってしまったのです。
母は電車内で男に触られ続け、禁断の快感を教えられたのだと思います。やが
て母は、隣に私がいてもお構いなしで「痴漢の指」に酔いしれる女になりまし
た。
母を決定的に変えたあの日の出来事。私は一部始終目撃しました。捲れ上がる
母のスカート。尻の割れ目部分に男のペニスを差し込まれた母は、泣きそうな
顔で悶えました。母の腰を男の手が後ろから抱え込み、脇の方からスカートの
中に手を突っ込まれ、母は身を反らせるようにしてよがっていました。男がズ
ボンから出した生のペニスが母の尻に突き刺さると、母は私にも聞こえる程の
淫らな声を出し続けたのです。母は脚をガクガクと震わせて快感に耐えていま
した。この時の母は、周囲も見えなくなる程の快感を味わっていたに違いあり
ません。
私は今でも、痴漢された母の姿を忘れる事が出来ません。母の腰は、満員電車
の中でピクピクと痙攣しました。きつく目を閉じて口を半開きにして喘えぎ続
ける母の顔。その淫らな顔を、私は一生忘れる事が出来ないかも知れません。